つまり、単純計算で言えば、日本中で減った若い人口の7割以上が23区に集まったと言えるのである。
次に、東京都心への通勤圏に含まれる主な市区の、2010年から2015年にかけての人口増減を見ると、下記の市区で人口が減少している。
都心から40キロ以遠から「郊外2世」が流出
上記の市区の中には、1970年代から1980年代のバブル期までに住宅地として開発された、主に都心から30〜50キロ圏の地域が多く含まれている。近年、こうした地域で人口減少が起きているのだ。特に、バブル期に開発された、都心から40キロより遠い地域は、そこで生まれ育った「郊外2世」たちが、長い通勤時間を嫌って、当該地域からより都心の近くへと転出していることが想像される。
つまり、新しく育った生産年齢人口が減り、かつて生産年齢人口だったが現在は高齢者となった親世代ばかりが残る、という事態が進んでいるのである。これは、高度経済成長期以降に日本の地方で起こってきた事態と同じだ。つまり、今、郊外は「地方化」しているのである。
人口減少について言えば、東京都心部の人口は、1960年代以降から1980年代まで減り続けていた。東京23区の人口のピークは1968年であり、その後団塊世代の結婚、出産に伴う郊外転出などにより1982年まで人口減少は続いたのである。結果、1990年には千代田区で5万人を切り、中央区も95年に6.4万人にまで減り、「都心の過疎化」とさえ言われたのである。
しかしその後、ちょうど82年から、中曽根政権下で民間活力導入(政府・自治体に代わって民間の資本や経営を導入すること)がなされ、その後都心の高層住宅建設にかかわる各種の規制緩和が進んだことなどにより、再び都心人口が増加し始めた。
バブル時代に地価高騰によって人口はまた減少するものの、96年からは都市開発の規制緩和により大規模マンション建設が増え、特に2000年代以降、千代田、中央、港などの都心3区で人口が大きく増えることになった。いわゆる「都心回帰」が起こったのである。
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