安倍政権は「バブルの恐怖」を忘れていないか 80年代バブルの生成と崩壊から学ぶべきだ

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バブルには大きなオマケも付く。バブル崩壊後のデフレという病である。健全な市場経済の仕組みが機能せず、モノの価格が下がりすぎてしまう。90年代から今日にいたる「失われた20年」は、80年代の異常なバブルの反動として、避けて通れないツケ払いだった。

資本主義の歴史は、バブル経済とデフレという2つの病の循環の歴史である。数十年単位でこの2つの危機の間を行き来する。やっかいなのは、バブル経済が将来のデフレの原因を育て、デフレへの対処が将来のバブル経済の原因をつくり出すことである。

バブルもデフレも完全に防ぐことはできない。しかしその悪影響をできるだけ小さくすることはできる。その手段は「財政政策」と「金融政策」、そして「長期的な構造改革」である。その舵取りをゆだねられているのが内閣総理大臣であり、日本銀行総裁である。

為政者はデフレの先のバブルまでを読み込んだうえで、果敢に対応策を打たなければならない。なぜなら目の前で大きな効果を生みだす政策もまた、将来において大きな副作用をもたらす政策かもしれないからである。

だからこそ、権力の頂点にいる人間には「英知」と「決断力」に加えて、「謙虚さ」が求められる。「不確かでコントロールできない市場」を理解しつつ、それでも「その不確かさを信頼しゆだねる」謙虚さである。

安倍総理の大見得には、その「謙虚さ」が不足していた。

バブルはただの金融現象ではない

日本の80年代のバブルとは、いったい何だったのだろうか。それをいまあらためて考えることの意味はどこにあるのだろう。

バブルはただの金融現象ではない。バブルは世界のいたるところで起き、どれも似たような様相を呈する。しかし実態はそれぞれに異なる。なぜなら、バブルはその国や地域の文化・歴史と複雑にからみ合いながら生じるからである。日本の80年代後半のバブルは、戦後の復興と高度成長を支えた日本独自の経済システムを知ることなしには理解できない。

私が「渋沢資本主義」という造語を使いはじめたのは、バブルが燃えさかり、リクルート事件が国会で話題を集めていたころのことである。グローバル化がもたらす新しい経済活動のうねりと、従来型の日本的な経済システムの乖離を、なんとか説明したいと考えたのがきっかけだった。渋沢とはもちろん日本の資本主義の父、渋沢栄一のことである。それくらい長い時間軸でとらえないと80年代のバブルを理解することはできない、というのが私の結論だった。

日本は明治以来、資本主義と日本の文化のあいだで、巧みにバランスを取り、修正する仕組みをつくってきた。資本主義には、優勝劣敗の冷徹な論理が働く。封建社会を抜け出したばかりの日本にこの仕組みを埋め込んで競争力を高めていく一方で、いかに社会的な摩擦を減らしていくか。「義利合一(ぎりごういつ)」と「論語とそろばん」という哲学は、この矛盾に満ちた課題に対する渋沢なりの現実的な答えだった。渋沢資本主義とは、資本主義の強欲さを日本的に抑制しつつ、海外からの激しい資本と文化の攻勢をさばく、日本独自のエリートシステムだった。

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