日本の画一的な教育はもう、限界が来ている 多様性をどう受け止めるか、問われる時代だ
鬼頭:米国での留学中に、いろいろな経験をされたみたいですが、何か価値観的なところも変わりましたか?
山口:変わりましたね。何を言っても自信が持てない状況というのは、日本語での会話でも起こっているのかもしれない、と感じたことは大きかったです。自分が話しすぎて周りの人が会話に入ってこれないことがあったのかも、と。会話に入っていけないマイノリティの人たちの立場になって、その人たちの視点とか考え方、その人たちに対する配慮を、勉強以前に知らなければいけないと思いました。
米国で気づいた「日本人」のアイデンティティー
山口:あと、日本にいるときは自分が思ってることは、世間の常識だろうと思っていたんです。でも米国ではそうではない。いろいろな国の人たちが住む環境の中で、日本の特殊性というものにすごく敏感になりました。「自分は日本人だ」というアイデンティティが、自分の中にはとてもあることに気づきました。今の世の中、留学に限らず、海外のニュースやSkype、Facebookなど簡単に外国の人とつながることができます。そういうツールを使って、自分とは違う価値観や文化的背景の方たちとコミュニケーションをとるのって、すごく大切だと感じています。
鬼頭:そうなんですか、私は海外留学をしたことがないんですが、とても行きたくなりました。
山口:面白いですよ。日本はどちらかと言えば集団で画一的な文化ですが、アメリカは個別主義の国です。たとえば学校に入学するテストでも、日本ではみんな同じ試験を受けて、点数により合否が決まる。でもアメリカでは、合格って人それぞれなんですよね。合格掲示板とかに張り出すのではなく、個々にレターがきて「あなたは合格だけれども、ここが足りてないからここを満たしてから来てください」みたいな。テストでも個人がベストな状態で受けるのが公平な文化なので、「10秒休みたければ休んでください」というところもあります。
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