“日産流ゴーン式経営”で、サッカークラブ改革に挑んでいる男がいる。2010年から横浜F・マリノスの社長を務める嘉悦朗だ。
これまで嘉悦は、日産自動車において出世コースを駆け上がってきた。
1999年にカルロス・ゴーンが日産の社長に就任して「日産リバイバルプラン」を発表したのを機に、プロジェクトチームのひとつのリーダーに抜擢。社内の課題解決の迅速化の枠組みを作るなど、さまざまな改革を担当して、「ゴーン・チルドレン」のひとりとして知られるようになった。そして、その業績が認められ、2009年7月にマリノスの社長代行に指名される(2010年に正式に社長に就任)。
就任当初、マリノスは成績不振と収益の悪化に苦しんでいたが、嘉悦が次々に改革を実施。地道な改善が実を結び、今季のマリノスは元日本代表の中村俊輔を中心に好調をキープして優勝争いに加わっている(5月16日時点で2位)。
低迷していた名門は、いかにして輝きを取り戻そうとしているのか? 4月23日、横浜のマリノスタウンで嘉悦社長に話を聞いた。
どん底状態での社長就任
――まずはマリノス社長就任の経緯を教えてください。自ら志願したんですか?
厳密に言うと、2002年くらいに1度希望したんですよ。3代前の社長が急逝してしまい後釜が必要になったときに、僕が「やらせてほしい」と手を挙げたんです。けれど、ゴーンから「お前はまだやることが山のようにあるだろう!」と、一喝されて。
そのことを覚えている人間がいて、2009年夏に前社長が体調を崩されたときに、「確かマリノスに行きたいと言っていたよな?」と声がかかった。当時、クラブは経営面でも強化面でも大変な時期で「イバラの道だな」と思ったんですが、ずっと希望していたことだったので「頑張ります!」と言って新たな世界に飛び込みました。
――社内でマリノスの社長を希望する人は多いですか?
やはり多いですよ。サッカーが好きな人が多いですし、サッカークラブというのは日産に比べれば経営規模が小さいですが、トップに立ってみたいっていう気持ちのある人が多いんだと思います。周りから冗談まじりに「俺のほうが先なんじゃないの?」ということを結構言われましたね(苦笑)。
ただ、先程言ったように、当時のマリノスの状況は決してよくなかったんですよ。一時の日産と同じで、業績が振るわなかった。成績も悪くて、お客さんも入らない。僕が行けと言われたときの順位が、確か13位だったんですね。だから、「頑張れよ」という激励の言葉もかなりもらいました。
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