ゴーンの懐刀が挑む、マリノス改革の全貌 横浜F・マリノス、嘉悦朗社長に聞く(上)

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――マリノスの社長を決めるのは、ゴーンさんなのでしょうか?

僕が聞いたところでは、最高意志決定機関であるエグゼクティブ・コミッティで議論して決めたようですね。その会議では、誰が言い出すこともなく「決まっているよね」と笑っていたそうです。ちょうど僕は日産の本社を銀座からみなとみらいへ移転する仕事を7年がかりで終えようとしているところで、タイミングがよかったんです。「ここで俺が受けるのは運命なんだろうな」と思っていました。

 ゴーンの懐刀からJリーグの名門クラブの社長へ――。大きな出世と言っていいだろう。
 ただし、嘉悦が「イバラの道」と言ったように、マリノスを取り巻く状況は簡単ではなかった。広告費は2007年度に26億円あったのが、2009年度にはその半分の13億円に激減。緊縮財政に舵を切って、人件費もJリーグの平均を下回るようになった。明らかに負のパイラルに陥っていた。
 しかし、約2兆円の負債を抱えていた日産を復活させるプロジェクトに参加していた嘉悦にとって、“企業再生”は慣れ親しんだタスクだった。
 ゴーンのトップ就任と同時に、日産には「クロス・ファンクショナル・チーム」(以下CFT)という部署を横断したプロジェクトチームが10個作られた。異なる部署のスペシャリストが集められるのが特徴だ。嘉悦はそのひとつのプロジェクトのパイロット(実質的リーダー)を任された。
 この経験をサッカークラブ経営に生かさない手はない。嘉悦はマリノスの社長就任と同時に3つのCFTを作り、それがクラブ改革の柱になった。

日産流を移植すれば再生できる

――社長就任当初、マリノスは広告費が激減して、かなり経営が苦しかったと思います。どうやって改革に取り組んでいったのでしょうか?

嘉悦朗(かえつ・あきら)
横浜マリノス社長
1979年一橋大学商学部卒業後、日産自動車に入社。ゴーン体制の下で、人事部主管、組織開発部主管、理事、執行役員を歴任。クロス・ファンクショナル・チームの主力メンバーとして活躍した。その後、本社移転プロジェクトのリーダーを経て、2009年、横浜マリノスの社長代行に就任。2010年より現職。

日産で学んできたことがまさに生きる、というのが第一印象でした。僕が日産に入ったのは1979年なんですが、それから日産は緩やかに転落の一途をたどり、明らかに負のスパイラルに陥っていたわけです。何をやっても反転しない。いよいよ破綻の危機がきて、そこでルノーとの提携があり、ゴーンの手腕によって急激なV字回復をした。

僕はその真ん中にいたので、それをマリノスに応用すれば再生も不可能ではないと思いました。負のスパイラルから持続可能な成長スパイラルへと持っていく転換点を経験しているから、それをそっくり移植すればいいんじゃないか、と。

――具体的にはどんな方針で?

マリノスのチーム力が落ちてきていたのは、強化費のコストを削減したからなんです。当時はリーマンショックの影響があり、そういうときにいちばん削りやすいのは強化費ですから。選手を放出したり、取りたい選手を取らなかったり、ということが現実に起きていた。その結果、チーム力や魅力が明らかに下がっていた。それで集客が減り、またコストを削る。強化費はJリーグの平均を下回っていたのに、さらに減ってしまう。東京ヴェルディが歩んだような道をたどるかもしれない……と思いました。

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