日本人が何気なく多用する「合掌」本当の意味 海外から見た「亡き人と話す」不思議な光景

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元来、合掌とは、インド古来の礼法で、仏教徒が顔や胸の前で両手の掌や指を合わせて、仏(釈尊)さまや菩薩(悟りを求め、また衆生を救うために多くの修行を重ねる者)さまなどを拝むことを意味しましたが、仏教を通じて日本に持ち込まれたと考えられています。アジア諸国では挨拶の習慣として合掌することもあります。

日本には、何気なく手を合わせる習慣があります。お寺や神社に参拝するときの合掌は、インド元来の合掌の意味と同じだといえるでしょう。しかし、亡き人に向けた合掌、食前の「いただきます」と食後の「ごちそうさま」の合掌、誰かに「ありがとう」とお礼を伝えるときの合掌、誰かに「ごめん」と謝るときの合掌、誰かに「お願い!!」と何か頼み事をする時の合掌などは、日本独自の合掌のように感じられます。(ちなみに、日本では僧侶同士の挨拶の時にも合掌することがあります。)

手を合わせたその先

合掌は単純に動作だけを英語にすれば、「put one’s hands together」(手と手を一緒にする)「put one’s the palm of hands together」(掌と掌を一緒にする)「pressing one's hands together in prayer」(手と手を押し合わせながら拝む) というふうになりますが、これでは動作の中に浸透する日本独自の合掌の意味はまったく伝わりません。しかし、日本独自の合掌にはどのような意味があるのでしょうか。このことを深く考えた方は少ないのではないでしょうか。

私は、インド元来の仏さまや菩薩さまを拝む習慣に、神仏などの目には見えない力やはたらきへの畏敬の念が加わり、発展したものが日本独自の合掌だと思っています。

では、畏敬の念とは何かというと、それは「すべては当たり前」「生きている」という自己の驕(おご)りの反省です。本来の私たちの姿は、すべては当たり前ではなく、目には見えないはたらきかけにより、生かされているのです。

ここに「申し訳なさ」「感謝」「尊さ」の思いが湧き起こり、これらの思いが合掌となって体現されているのです。私たちの日常生活の中で手を合わせる場面を想像してみると、どの場合でもこれらの思いがあてはまるのではないでしょうか。

このような意味では、合掌自体は手を合わせる動作ですが、その深意を踏まえると「Embodiment of gratitude for invisible supporting working.」(目には見えないはたらきへの感謝の体現)と英訳できるのかもしれません。この感謝の体現が習慣化している日本は本当に優しい精神文化の持ち主だと思います。

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