経済成長への「病的な執着」は日本を滅ぼす 異端の経済学者・セドラチェク、吼える
――なぜみんな、躁の部分にとらわれてしまうのでしょうか。
まず、経済成長そのものに引力がありすぎますよね。どうしても引きつけられる。たとえば携帯電話は、そんなに頻繁に手にしていいものではないけれど、それでもやっぱり手が引きつけられる。
そういうときは、本当は水を差さなくちゃいけないんです。ところが経済は、水を差すどころか、もっと引力を強くしようとしている。
人間は絶頂で恐怖を覚える
――欧州では、そういった認識は一般的になりつつあるのでしょうか?
ヨーロッパの伝統、たとえば宗教の世界では、人間は神様に愛されながらも、すごく嫌がられているという両面があります。天使に近いところにいたかと思えば、悪魔の近くにも。ラブ&ヘイトですね。
たとえば、古代ギリシャにポリュクラテスという王がいて、その王はあまりの繁栄と幸運を享受していた。しかし、あるとき予言者がやってきて、あなたは幸せすぎます、このまま続くと神々に嫌われてしまいますよ、と忠告され、自分が持っていた大事な指輪を海に捨てることにしたんですね。
それで万事OKかと思ったら、その後漁師から献上された魚の腹のなかに、なんとその指輪が入っていた。結局彼は、たいへんむごい最期を迎えるに至ってしまったのです。
この寓話からわかるのは、人間というのは、やっぱり絶頂に達したときに、そこで恐怖感を覚えるんじゃないかということです。そこで自動的に罪を覚えて、自分自身を罰してしまうんじゃないか。そういう視点から、経済のサイクルも説明できるんじゃないか、と考えたことがあります。
あと、古代ローマの主君たちが大きな宴を開くときには、必ず奴隷たちが後にいて、メメント・モリ、要するに死ぬかもしれない、死を忘れるなということを王に囁いていたそうです。そうやって、躁の状態に水を差すんですね。
私たちの文明は、やっぱり、弱いところより、強いところのほうを恐がっているんじゃないかと思います。
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