7月15日にトルコで起きたクーデター未遂事件は、同国の社会に衝撃を与えた。エルドアン大統領は報復という大義名分を盾に権威主義の道をひた走るのか。あるいは敵と和解し、亀裂を修復しようとするのか。結論は見えていない。
トルコの歴史を振り返れば、権威主義政権を揺るがす政変が起こった際、次期政権はさらなる基盤強化に動きだし、権威主義を軟化させることはなかった。今回も未遂事件発生後、エルドアン大統領は兵士や裁判官、警察官、教師らを大量に検挙し、その追放を発表するなど、強権的な動きを見せている。
しかしエルドアン大統領の特徴だけからトルコ情勢全体を推し量ることは難しいだろう。大局的に見れば、エルドアン大統領と彼が事実上率いている公正発展党も、同国の政治構造の変化を反映しているだけなのだ。そして同様の事態はほかの中東諸国でも発生している。
押し付けられた“世俗主義”
トルコ建国の父、ムスタファ・ケマルは建国当初、世俗主義を掲げた。しかし実際には、ケマルへの個人崇拝を中心とする強権体制が1950年代まで続き、国民はその実態を看過してしまった。
ケマルが主導した“世俗主義”は、大衆の支持を反映したものでなく、軍部やインテリなどの少数派エリートが伝統的な生活を営んでいた民衆に押し付けたものだった。
たとえばケマルは歴史的にも文化的にもつながりの薄いアルファベットをトルコ語体系に導入したり、伝統的な衣装を禁止して洋服の着用を強要したりした。また名字がアラビア系であれば、トルコ風に変えることも強制したのだ。
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