1番でも本流でもない人が組織を強くする 蝶野正洋「期待がないからこそ自分が出せる」

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親父は製紙会社で働いていて、最終的には専務にまで上り詰めたんだけど、典型的な仕事人間だった。帰宅しても夜中の2時3時まで仕事をしているような。コピー機なんかもない時代だから、全部手書きで書類を写していた。

子供心に、見てて思ったよ。「こんな人生、俺には無理だ」って。

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ところが、プロレスの世界に入ってみたら、他でもない猪木さんがそういう人間だったんだ。「24時間、プロレスのことしか考えてない」というか。

俺が猪木さんになるのを早々と諦めたのは先に言った通りだし、今、アパレル・ブランド「アリストトリスト」をやっているのは、親父と違って、本業以外の生き方も模索した結果だからね。

ただ、俺が本当にガキだった頃、喧嘩で警察に補導されて、父親が迎えにきてくれたことがあった。その時、親父が、俺に聞いたんだ。

「その喧嘩は、誰が先に手を出したんだ?」

俺は正直に、「俺です」と答えた。そしたら親父は言ったよ。

「ならいい。お前から仕掛けたのなら、それでいい。だけど、後ろから金魚のフンみたいについて行って、他人の喧嘩に乗るような男には、絶対になるな」

親父と、人生の歩み方は違っていたけれど、そういう姿勢は、プロレスでも貫けたと思ってる。

どんな時も、それは自分の人生。ビジネスにおいても、結局は自分で判断して進んでいく気持ちを忘れずにいてほしい。

蝶野 正洋 プロレスラー

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ちょうの まさひろ

1963年生まれ。2歳までアメリカ合衆国ワシントン州シアトルで過ごし、東京都三鷹市で育つ。1984年、新日本プロレス入門。同年10月5日、武藤敬司戦でデビュー(武藤にとってもデビュー戦)。1991年、第1回G1クライマックスで優勝し、その後V5達成。1992年、第75代NWAヘビー級王座を奪取。1996年にはnWo JAPAN設立し一大ムーブメントを起こす。1998年IWGPヘビー級王座獲得。2010年2月に新日本プロレスを離れ、それ以降フリーランスとして活動。1999年12月にはオリジナルブランド「アリストトリスト」を設立し、代表取締役を務める。

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