海外事業における最大の強みは
DNAを受け継ぐローカル社員の存在 張本邦雄 TOTO株式会社 代表取締役社長執行役員

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長期経営計画「Vプラン2017」を掲げ、「真のグローバル企業」をめざすTOTO。 同社の海外展開における基本戦略とは何か。本当の強みとは何か。 TOTOの張本邦雄社長に話をうかがった。

インタビュアー:松下 芳生(デロイト トーマツ コンサルティング 取締役 パートナー)
張本 邦雄(はりもと・くにお)
TOTO株式会社 代表取締役社長執行役員
1951年東京都生まれ。私立麻布高校、早稲田大学商学部卒業。73年東陶機器(現TOTO)入社。営業企画部長、マーケティング統括本部長などを経て2003年取締役執行役員販売推進グループ長。06年専務執行役員、09年より現職。
【企業情報】
TOTO株式会社
1917年5月15日設立。本社福岡県北九州市。社員:8316名(2012年3月末現在)。衛生陶器で約6割のシェアを有する住宅設備機器メーカー。海外展開では現在、18の国や地域に進出し、中国では高級衛生陶器市場でトップシェアを獲得、上海万博のEXPOセンターや、北京オリンピックのメインスタジアムとなった北京国家体育場にもTOTO商品が採用されている。

海外展開の基本戦略は現地化

松下芳生(以下、松下) 張本社長は以前、「社長になってから自らのグローバル化も始まった」とおっしゃっていました。まず、社長就任当時のTOTOを取り巻く経営環境と、そこからどうグローバル化を進めたのかについてお聞かせください。

張本邦雄(以下、張本) 就任は2009年の4月で、その頃は国内が最悪の状況でした。国内新設住宅着工数の大幅な落ち込み、一部原材料価格の高騰といった厳しい事業環境も影響して12億の赤字が出ていました。一方で海外の売り上げは伸びていたのですが、具体的状況は把握できていない状態でした。社長に就任して、国内外でバランスの取れた事業体にしようと思ったのですが、まず着手したのは国内事業の再構築です。国内の工場を回って現場とコミュニケーションを図りながら立て直しを進めたのですが、初年度だけで29カ所の工場を回りました。

そして、ある程度国内のめどが立ってきた2012年度から米国、中国などの海外の関連会社を回り始めました。現在、海外では18の国や地域に61の関連会社を展開していますが、海外各社の正確なポジショニングや事業形態が把握でき始めたのはその頃です。

松下 海外進出はいつ頃から進められていたのでしょうか。

張本 最初は1977年のインドネシアへの進出です。当時は国内事業が純利益ベースで2桁をキープしていたので、海外進出はそれほど大きな意味を持っていませんでした。いいリクエストがあれば行ってみようという感じで、グローバル戦略という大きな御旗を立てていたわけではなかったと思います。あの頃、国内がシュリンクするという発想はありませんでしたから、現在の日本企業の海外進出とは意識がまったく違うでしょう。ただ、創業以来TOTOの文化を世界に広めたいという思いはあったので、そのことがインドネシア進出への大きなきっかけになったといえます。

われわれの海外展開の基本戦略は「現地化」です。インドネシアで合弁会社を作った際に、現地のパートナーを中心に現地で体制を構築しました。当時、日本からインドネシアに赴いたのはマネジメントや衛生陶器の技術者が数名です。その後、中国や米国にも進出しましたが、どの国でも最初から現地化を進めているので、日本から駐在する社員は少ないです。インドネシアへ進出して以来35年間、この基本戦略に変わりはありません。

松下 TOTOの衛生陶器には非常に高い技術がありますが、その技術レベルと現地化を両立させるのは難しくありませんか。

張本 海外の会社ではローカルの人たちが主体となって動いていますが、技術と品質はTOTOジャパンのレベルそのものです。これは大原則です。インドネシア進出以来、生産工場を立ち上げる際には必ず衛生陶器部門から技術者を派遣することでこのレベルを維持しています。TOTOの海外の生産会社の多くは、もともとあった工場を買収するのではなく、ゼロから工場を立ち上げているので、品質基準に関しては日本基準をそのまま持ち込めるという強みもあります。今、中国、米国、インドネシア、タイなど世界15カ所に生産会社がありますが、品質の基準はすべてジャパニーズスタンダードにあります。

なお、私が社長になってからは、デザイン力の現地化の強化を図っています。衛生陶器のデザインは食べ物と一緒で、国によって好みが大きく異なります。米国人が好きな衛生陶器の形、中国人が好きな衛生陶器の大きさ、みんな違います。ですから、以前からデザインは現地のニーズにあわせていて、日本のデザインをそのまま使うことはまれです。かつては、現地にデザイナーがいなかったり、生産のための型を作る技術が日本にしかなかったという事情から、現地のニーズを日本に持ち込み、日本でデザインして商品企画をするケースも多かったのですが、今は日本に持ち込まず現地でデザインも行うことをめざしています。もちろん私たちが求める基準はありますが、それをベースに現地でデザインし、商品企画して型を作るといったことを今、どんどん進めています。

松下 現地化をうまく進めるためには、ローカルの方々の協力が欠かせませんが、彼らとはどのようにして良好な関係を構築されているのでしょうか。

張本 まず、報酬面で他社と同等以上でなくてはならないというのは大前提です。でも、それだけでは駄目で、労働環境などで、いろいろな支援とコミュニケーションを続ける必要があります。

TOTOの海外関連会社では、これまでさまざまな方が働かれ、また退社されていますが、あらためて振り返ってみると、TOTOに残って長く働かれている方々は、TOTOが好きな人なのです。報酬だけの問題ではなく、TOTOで働きたいと思ってくれているのです。

米国や中国やインドネシアの海外関連会社には勤続20年という人も珍しくありません。全体で見ても、部長クラスで半分程度、シニアマネジメントクラスの2割程度、課長クラスならほとんどが現地社員です。つまりTOTOが好きな社員が下からだんだん偉くなっていっているのです。これは非常に日本的な企業文化ですが、面白いことに米国や中国の海外関連会社でそうなっているのです。ローカル化を進めたのだけれど、結果として「TOTOが好き」「日本的考え方や日本的文化が好き」という人たちが残り、活躍しています。このように各国の海外関連会社で、TOTOのDNAを受け継いだローカル社員が育っているのですが、彼らとTOTOとの一体感やモチベーションは強く、こうした風土がTOTOの海外事業の最大の強みかもしれません。ただし、海外の売り上げ規模が1000億円を超えるようになったときには、こうした形態が少し変わっていくかもしれません。これは次の段階での課題となるでしょう。

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