脱藩官僚が育む「平成龍馬」の夢 新世代リーダー 朝比奈 一郎 青山社中株式会社 筆頭代表
「霞が関を内側から変革する」。
大きな決意を胸に、入省7年目の若手職員たちが2003年に立ち上げた「プロジェクトK」。その旗振り役を務めたのが、経済産業省の職員だった朝比奈一郎氏だ。
職を辞して外から批判するのではなく、組織の内側から具体的な提言を出す――。その思いが結実し、民主党政権成立後の国家戦略室の創設など、彼らの活動が基盤を作った例は少なくない。
ところが2010年、朝比奈氏は霞が関を飛び出した。
同年に立ち上げた青山社中株式会社では、リーダー塾などを運営。日本の“人材”と“政策”を変えていくための、新たな挑戦が始まっている。
かつては内側からの霞が関改革にこだわった朝比奈氏。今、外苑前の小さな事務所から霞が関、そして社会全体を見つめ、何を思うのか。
主語を「政府」ではなく「僕」で語る人々
――まず、どうして通産省に入ったのですか?
実をいうと、経産省、当時の通商産業省(通産省)にはそんなに強い思いは持っていませんでした。ただ、東京大学法学部にいると、まわりに国家公務員や弁護士を目指す人が多かったし、人や社会の役に立つ仕事といえば公務員だろうと漠然と考えていました。今考えればずいぶん短絡的ですよね(笑)。命を懸けて国を守る警察はすてきだなぁと意識していました。
筆記試験後の各省庁の面接では、まず大本命の警察庁に行った。ただ、即日内定がもらえるわけでもなく、面接期間中はけっこう時間が余る。なので大蔵省やほかの省庁も回りました。
そんな中、惹かれたのは通産省だった。とにかく会う人会う人みんなアツい。仕事のことを「政府がこう決めているから」じゃなくて、「僕は今の社会こう思うから」と一人称で語る人が多いな、と思った。
ただ、僕の入省は1997年で規制緩和の流れの真っただ中。『官僚たちの夏』さながらの経済政策の時代は終わっていて、もう通産省はいらない、通産省の解体こそが国益と言われている頃だった。ものすごく悩みました。
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