オーストラリア潜水艦商戦、日本敗退の裏側 潜水艦「ごうりゅう」は幻に終わった
[東京/パリ/シドニー 28日 ロイター] - 初の大型武器輸出として日本が目指したオーストラリア向け潜水艦「ごうりゅう」の受注は、幻に終わった。首脳同士の絆のもとで日本は勝利を疑わず、途中で変わったゲームの流れについていけなかった。勝利したフランスは自分たちが劣勢にあることを認識し、現地の事情に通じた人材を獲得、弱点を地道に克服して勝負をひっくり返した。
本格的な国際競争へ
2014年11月、フランスのル・ドリアン国防相は初めて豪州を訪れた。豪州の次期潜水艦の受注を獲得しにいくことを決めた仏政府系造船DCNSのトップ、エルベ・ギウ氏に促されての訪豪だった。国防相が飛んだのは、首都のキャンベラやシドニーではなく、南西部の都市アルバニー。そこは第1次世界大戦中、西部戦線に展開したフランス軍の応援に、豪軍が兵士を送り出した場所だった。
ル・ドリアン国防相は豪政府の主要閣僚とともに、100年前の悲しい出来事を称えた。「国防相はその重要なイベントに参加することを切望した。そこで豪州のジョンストン国防相、アボット首相と話す機会を得た」と、同行した仏関係者はいう。過去を共有することで、潜水艦の協議に向けた扉が開いたと同筋は振り返る。
豪政府は当時、自国建造は技術的リスクが高いとして、海軍の要求性能に近い海上自衛隊のそうりゅう型潜水艦を輸入する方向で日本と話を進めていた。日豪は首脳同士の仲が緊密で、中国けん制のために防衛協力を強化したいとの思いも共有しており、日本が受注することは確実とみられていた。日本の政府内では、豪州向けのそうりゅうをもじり、「ごうりゅう」プロジェクトと呼ばれていた。