山の世界から見る新しい日本 新世代リーダー 山田 淳 登山ガイド
エベレスト、マッキンリー、キリマンジャロなど「世界7大陸最高峰」を2年半で制覇し、2002年5月に当時の最年少登頂記録を作った山田淳さんは、登山家としては、一風変わったルートで日本の“最高峰“をも登頂している。灘校から東大、マッキンゼーへ。こちらの「知」の世界から山の世界を眺めれば、まったく異質な世界に思える。なぜその道に分け入っていったのか?
屋久島が山田少年に与えた衝撃
山田さんが登山を始めたのは、灘中1年生のとき。運動部に入りたかったが、小児喘息を患っていたため、あまり激しい運動ができないというコンプレックスを抱えていた。
「できるだけ人と競わないような運動部はないか。それとも文化部に入ろうか、とちょっと日和っていて、たまたま文化部の部室が集まっている建物の端っこにあったワンダーフォーゲル部に入った」
その年の夏合宿で屋久島に行ったのが初登山となる。神戸で生まれ育った山田さんの周りには、幼い頃から電車や建物、舗装された道路が存在した。しかし、屋久島の山の中に入ると、そうした人工物が一切ない。
「100%、自然に囲まれている状態に感動してしまった。山というより、自然というものに完全に魅せられてしまったんです」
このときの感動が原体験となり、登山に夢中になる。といっても、ワンゲル部は山に登っていないときは、基本的に毎日走ったり、筋トレをしたりという基礎体力づくりが中心だ。だんだん体が強くなり、中学2年に上がる頃には喘息がすっかり完治していた。
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