部下を逸材に育てられる人は、何が違うのか 逸材輩出のメカニズムとは?
たとえば第4章のテーマは、「がんこなのに柔軟」。いわば古典的な問いかけとも言える「何を変えて、何を変えないべきか」というテーマに対し、「組織の目的は守りつつも、手段はあらゆる面で絶えず改良するという心構えでいればいいのだ」と説く。
第6章は「細部を見ながら部下に任せる」ことについて。ここでは、部下を信じないせいで権限委譲に及び腰になるマネージャーではなく、かといって仕事を丸投げするフリーライダーでもなく、第三の道としての「関与型権限委譲」という概念が示される。
さらに第7章では「部下同士に競わせる、助け合わせる」というテーマを主題とする。カルト集団のような内部者意識を植え付けながらも、健全でバランスの取れた競争を促す。その際に率先して成長の手助けをすることが、部下同士が助け合うための「コホート効果」を生み出すのだ。
育てた部下を惜しげもなく放出
だがスーパーボスの真価が問われるのは、部下が十分に頭角を現した後だ。驚くくらいに、惜しげもなく育てた部下を放出し、自身のネットワークをオープンなものにしていくのだという。すると、更に有望な人材が磁石のように集まってくるのだ。ここからは、人脈にネットワーク外部性が働いていく様が見てとることが出来るだろう。
思えばソーシャルメディアが登場し始めた頃から、僕の周りにも会社と家庭以外のコミュニティのようなものが数多く現れてきた。それから数年が経ち、今でも続いているコミュニティは、種類こそ違えどリーダーシップが効果的に働いている組織のみである。
つまり会社以外の領域においてもリーダシップを発揮すべき場所というのは増えてきており、しかも会社におけるリーダーシップよりも難易度は高い。往々にしてその種のケースというのは、会社のような強制力が働かないうえに、判断に迫られる選択肢も多いのだ。
本書におけるスーパーボスとは、会社の中でしか通用しないような旧来型のリーダーシップとは異なり、様々な場面で応用の効く視野の広い概念と言えるだろう。古典的な名著の予感を漂わせながらも、現代的な課題にも十分応えうる内容に仕上がっている。
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