おおさか維新、本格的な国政政党を狙う 評論家・塩田潮が浅田均政調会長を直撃

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3月26日に初の定期党大会を開催したおおさか維新の会。前列右から3人目が松井一郎代表、左から2人目が浅田均政調会長。橋下徹氏は姿を見せなかった(写真:共同)

おおさか維新の会は3月26日、党大会で今年の活動方針と併せて憲法改正原案を発表した。自民党は谷垣禎一総裁時代の2012年10月、前文を含む全条項の全面改正を想定した「日本国憲法改正草案」を打ち出したが、おおさか維新の改憲原案は必要な改正条項だけを抜き出したものである。

保育園・幼稚園から大学までの教育無償化(現憲法第26条の改正)、憲法裁判所の創設(現憲法第6章「司法」の改正)、地域主権の実現(現憲法第8章「地方自治」の全面改正)が柱だが、主眼は国と地方の両方にわたる統治機構改革だ。

そこで、おおさか維新の政策責任者の浅田均政務調査会長(前大阪府議会議長)にインタビューを行った。浅田氏は「将来的には首相公選制と道州制と一院制をセットにした改革を」と主張し、前段階として、衆議院の優越の強化、地方の意見を国政に反映させるための知事などの参議院参加といった制度改革を提唱している。

改憲原案発表と併せ本格的な国政政党目指す

おおさか維新流とはいえ、改憲はもちろん国政の課題である。振り返ると、国政進出は3年半前の2012年9月の日本維新の会結成が出発点だった。11月に石原慎太郎氏(元東京都知事)の太陽の党と合体し、12月の総選挙で初めて国会に議席を持った。2014年7月に石原グループが分離し、9月に江田憲司代表が率いる結いの党と合併して維新の党を旗揚げする。12月の総選挙では公示前とほぼ同じ勢力(41議席)を確保した。その後、2015年10月に江田グループと袂を分かって現在のおおさか維新を立ち上げた。

スタートの2012年総選挙でいきなり54議席を獲得して野党第2党となったが、おおさか維新の馬場伸幸幹事長(衆議院議員)によれば、最初の狙いは「大阪都構想実現のために国政に足をかけておかなければと考え、大阪府、大阪市、堺市の3議会から1人ずつ、とりあえず先遣隊として国会に」ということだった。その後、離合集散を繰り返し、昨秋に振り出しに戻って再出発する。そこで統治機構改革を目指す改憲案を正式に打ち出したのだ。

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