不正会計への道は「善意」で舗装されている まじめな日本企業が陥る「本土決戦」思考

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経営共創基盤の冨山和彦CEO(撮影:梅谷秀司)
カネボウやJALを再生させた日本のガバナンス経営の第一人者が、日本の企業統治の問題点や、今後求められるガバナンスのあり方を解説する。

 

企業が不正を行うケースには、いくつかのパターンがある。たとえば大王製紙のように、オーナー経営者が会社を私物化し暴走するパターン。これは別に日本に限らず、世界中どこでも見られる現象だ。

しかし今回の東芝の事件のように、社長をはじめ優秀な幹部社員たちが「まじめに」「仲間のためを思い」コツコツと不正を積み重ねるというのは、日本独特の病理である。なぜこうしたことが起こるのかを、考えてみよう。

不正を見抜くことは社外取締役の責務ではない

カネボウやJALを再生させた日本のガバナンス経営の第一人者が、古い日本的経営でも米国式株主主権主義でもない、新しい経営のあり方をストーリー形式で解説する、ガバナンス指南書の決定版。書影をクリックするとAmazonのサイトにジャンプします。

最初にはっきりさせておきたいことがある。マスコミの記事で、「経営陣を監視する立場の社外取締役がいながら、なぜ不正が見破れなかったのだ」といった、ガバナンスの無力を嘆く論を目にすることがある。しかしこの主張は、やや的外れなのである。その理由は2つある。1つは、会社が本気で綿密に実行した粉飾決算を社外取締役が見抜くことはほぼ不可能だからだ。もう1つの理由は、社外取締役の本来の責務が、そこにないからだ。後者について、少し補足しよう。

そもそも、不正会計とか粉飾決算というものは、あくまで結果に過ぎない。誰も、やりたくてやっているわけではなく、「結果としてやってしまった」ものなのだ。では、なぜ「やってしまう」のか。

オリンピックを考えてみてほしい。競技において、不正行為や、ドーピングに手を染めてしまうのは「メダルがとれないかもしれない」「出場できるかできないか微妙」という選手だ。金メダルが確実視されている人が、自分から記録をごまかしたりすることは、まずない。

企業も同じである。事業がきちんと収益を生み出し、利益をあげているならば、不正会計の誘惑は生まれない。だが、不幸にして事業が稼ぐ力を失ってダメになってしまうこともある。そのときに、当該事業があたかも順調であるかのように見せかけたい衝動に駆られ、不正会計や粉飾が「結果的に」起きるわけである。

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