初の国産旅客機「YS-11」は、どう生まれたか 日本のものづくりは戦前からつながっている

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――なぜそのような長い間、日本の空を飛び続けられたのですか?

YS−11は日本国内線での利用を目的に設計されましたから、非常に相性のよい機体だったのです。YS−11は就航当時にライバル機とされた海外の機体よりも座席数が多く、航空会社から「初期はトラブルもあったが、後々に丈夫で長持ちできる機体だとわかった」ともいわれるようになり、航空会社の支援もあり徐々に信頼を勝ち取っていきました。

多額の赤字を出したことで責任を追及され生産中止に

――結果、50年近く飛び続けたのですね。

「YS-11」に関しては、生産が続いていればさらに多くの機体が使われたと思います。しかしYS−11は半官半民の特殊法人で開発されたため、多額の赤字を出した際に、国会でその責任を追及され生産を止めてしまったのです。

――関係者からは信頼を得ていた一方で設計段階から製造中止まで苦難の道を辿っていますね。

とはいえ、「YS-11」の開発がなければ日本の航空技術はまったく違う方向にいっていたと思います。世界でも軍用機を作れるメーカーは多いのですが、民間旅客機を作れる国は非常に限られています。そういったなかで、「YS-11」を開発したことには非常に意味がありましたし、この経験が海外の航空機製造会社からの機体構造の製造受注につながり、最新の「ボーイング787」では、日本が35%の製造を担っています。そして、国産旅客機である「MRJ」の開発につながっているのです。

――「YS-11」の経験は現代になって生かされているのですね。

特に「MRJ」に関してはYS−11の「生まれ変わり」とも言える存在です。

「MRJ」の座席数も70〜90席前後となっていて、今後、国内の地域路線を担うことが期待されています。今後需要が見込まれる、インバウンドの旅行者を活用されにくい地方の空港へ運ぶといった点では、地域の活性化にも貢献できるはずです。

また、「MRJ」は開発の形が以前の経験を反映させた形になっています。「YS−11」では、国主体で開発が行われていましたが、「MRJ」は民間企業主導で開発が行われ、戦後日本の作り上げてきた「ものづくり」ノウハウが反映されていています。また、「YS−11」を使い続けてきた国内航空会社の技術者たちが開発に参加していまして、戦前から継承され続けている飛行機のノウハウも反映されています。

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