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硫黄島で死んだ「日本人金メダリスト」の悲劇 米兵にも愛された「バロン西」を知ってますか

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  • 山岸 良二 歴史家・昭和女子大学講師・東邦大学付属東邦中高等学校非常勤講師
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Q11. 「バロン西」はどう戦ったのですか? 活躍はしたのですか?

西中佐の率いる戦車連隊は、島の東部の主要陣地に迫る敵の一団を撃退する活躍もみせました。

しかし、次第に劣勢となり、彼はその後戦闘中に負傷、3月21日に戦死したとされていますが、詳しい最期の様子はわかっていません。ちなみにこの直後、「ウラヌス」も主人の後を追うように東京で亡くなっています。

のちに彼の死は、アメリカ国内でも多くの人に惜しまれました。

「投降を呼びかけられた」の真相は?

Q12.バロン西はアメリカ兵に「投降」を呼びかけられたようですが?

たしかに、「『バロン西』の名を知るアメリカ兵が、彼の命を惜しみ、『投降』を呼びかけたものの、応じなかった」というのは、いまに伝わる有名なエピソードです。ただし、それが事実か否かは不明です。

スピーカーなどを使って投降を呼びかけていれば、アメリカ側に必ず記録があると思われますが、公式な記録はないそうです。

硫黄島は終始、激戦が続けられ、日米双方の多くの将兵が死傷しています。日本軍に投降を呼びかけるほどの余裕がアメリカ軍にあったとは必ずしも思えません。「投降」の真相は残念ながらよくわかっていません。

戦後、硫黄島は長くアメリカの統治下にありました。日本にようやく返還されたのは、1968(昭和43)年6月26日です。

現在、島には海上自衛隊の航空基地が設置されていますが、旧島民の帰還は果たされず、自衛隊員以外の立ち入りは原則禁止。戦後70年以上が経過したものの、島にはまだ無数の不発弾と1万3000柱を超える兵士の遺骨が残されていると言われています。

硫黄島で戦った将兵の最大の難問は「真水」の確保でした。

硫黄島には「真水」がなく、雨水以外は、空輸で運ぶほかありませんでした。こうした極限の「渇き」に苦しみながら、半年以上をかけて防衛陣地を築き上げ、最終的に日本兵約2万人が戦い、命を落としていったのです。

現在の平和な日本がある背景に、命を捧げた多くの人たちがいたというのは紛れもない歴史の事実です。ただし、「あの戦争」を正当化し、それを賛美することは許されません。

日本人はなぜ「戦争」という道を選ばざるを得なかったのか、どこで何を間違えたのか。ぜひ日本史を学び直し、「あの戦争とは何だったのか」をみなさんなりに考えてください。

「日本史」を知ることは、私たち「日本人」を知ることにほかならないからです。

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