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「サカナ優先で黒く塗る」「瓦を使わない天守」…《見た目がへんな城》ができた"なんとも不思議なきっかけ"

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高島城(写真: Jimmy / PIXTA)
  • 真山 知幸 伝記作家、偉人研究家、芸術修士(MFA)
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ハンガリーの首都ブダペストは、街並みの壮麗さから「ドナウの真珠」と呼ばれている。とりわけシンボルとして存在感を示すのが、ブダ城である。

ブダ城はなだらかな丘も含めて「ブダペストのドナウ河岸とブダ城地区およびアンドラーシ通り」として、ユネスコの世界文化遺産に指定されている。

この城の最大の特徴は、ゴシック、ルネサンス、バロック……と異なる時代の建築様式が混在していること。まるで建築史の教科書が立体化したかのような、不思議な空間を生み出している。なぜ、そんな状態になったのだろうか。

何度も生まれ変わった「ブダ城」

ブダ城はもともとモンゴル侵攻に備えて築かれたロマネスク様式の堅固な要塞だったが、14世紀後半のルイ1世の治世で精巧なゴシック様式に発展。15世紀には、当時のハンガリー王がイタリアから招へいした芸術家や職人たちにより、豪華なルネサンス宮殿へと改装された。

ところが、1541年にオスマン帝国に占領されると、宮殿は兵舎や倉庫、厩舎として部分的に使用されたものの、ほとんどは放置され荒廃していった。そんなブダ城を壮麗な城に復活させたのが、マリア・テレジアである。

ブダ城(写真: Gengorou / PIXTA)

1740年に23歳の若さでハプスブルク家の当主になると、支配下にあるオーストリアやハンガリーの王にもなったが、女性の即位に周囲の国々が反対。オーストリア継承戦争が勃発する。

プロイセン軍に苦戦を強いられたマリア・テレジアは、ハンガリー議会に乗り込み、貴族たちにこう支援を求めたという。

「わが命と血と剣を捧げ、ハンガリーに生きる者よ、我らを助けよ!」

涙ながらの演説はハンガリー貴族の心を動かしたようで、援助を受けることに成功。戦後、マリア・テレジアがその恩に報いるかたちで、部屋数200を超える宮殿へとブダ城を生まれ変わらせた。

その後も、火災や二度の世界大戦で破壊されても、そのたびに修復されたブダ城だったが、戦後の復元プロジェクトは、単なる修復ではなかった。中世のゴシック様式の基礎部分は発掘して復元する一方で、ハプスブルク時代のバロック装飾は意図的に簡略化されたり、除去されたりしたのだ。

というのも、第二次世界大戦後、ハンガリーはソ連の占領下に置かれ、共産主義政権が樹立。ハンガリーを長年支配したハプスブルク家の遺産をそのまま復元することは、政治的に受け入れがたかったのだろう。

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