経済的な自己責任論と、文化的な伝統否定が組み合わさった結果、何らのセーフティーネットも持たない有権者や労働者階級は、生活の安定と未来への希望を著しく奪われる事態に陥ったのである。
「右派対左派」から「少数のエリート対多数の大衆」へ
いま起きている政治の根本的な変容は、リベラリズムの概念的スペクトラムである「右派vs左派」の対立軸が実質的に崩壊したことにある。それに代わって前線に浮上してきたのは、政治における最も古く本質的な分断、すなわち「少数の支配層(エリート)」と「多数の庶民(デモス/大衆)」との激しい衝突である。
実は「古典的リベラリズム(右派)」であれ「進歩的リベラリズム(左派)」であれ、双方の支配エリート層には共通する本能的な感情が存在する。それは、大衆(デモス)の政治的発言権や常識に対する深い不信と「恐怖」である。
支配層のエリートたちは、学歴や専門知識、経済的特権を背景にして自らの優位性を正当化する一方で、自らの進歩主義的計画に脅威を与えるポピュリズムの台頭に共通のパニックを起こしてきた。そして、有権者の意思が政治秩序を揺るがす「国民政党」や「ポピュリスト政党」の進出を全力で阻もうと結託してきたのである。
リベラル右派は潤沢な資金力を背景に、大衆運動を「権威主義」や「無知」「経済的社会主義」と決めつけて攻撃する。一方でリベラル左派は、メディアや教育機関を通じて、伝統的な生活様式や文化を守ろうとする庶民の訴えを「人種差別」「偏狭」「ファシズム」というレッテルを貼って道徳的に糾弾する。
このように左右のリベラルエリートは、表現手法こそ異なれど、自らの特権構造や寡頭制的な支配を隠蔽しながら、大衆の反乱を抑え込むという同一の目的のために動いているのだ。
しかし、こうしたエリートによる押さえつけは限界を迎えている。世界中で巻き起こっているポピュリズムの反動は、単なる一過性の過激主義ではない。それは、過激化する経済的・社会的リバタリアニズムによって生活の基盤を壊された大衆が、左右のリベラリズムの双方に対して同時に突きつけた拒絶反応にほかならない。


※ログイン後、コメント入力が可能です。