次に多くの共感を集めていたのは、CMの中身ですらなく、この騒動を報じる記事そのものへの反発だった。《自分が感じた印象を、わざわざネットでいちいち批判する人はタチが悪いと思う》。
別のコメントも《最近の記事には、ごく一部の反応をあたかも社会全体の問題であるかのように取り上げるものが多いように感じます》と、報じ方そのものへの不信感をにじませる。
一方で、CMの演出そのものに違和感を示す声も根強い。《服のCMなのになぜ上裸を見せる必要があるのか》。ユニクロの元店員を名乗る投稿には《綾瀬さんにあんな格好あんな演技をさせる必要ない》ともあった。
擁護、報道への怒り、そして演出への違和感――同じ30秒のCMを見て、まったく違う3つの感情が、同時に、しかも近い熱量で渦巻いている。これは一体、何が起きているのか。
同じ映像が、見る人によって「別の意味」に変わる
筆者が専門とするプロダクト・アピアランス研究(モノの見た目の科学)の視点から見ると、この現象には明確な理由がある。
人は、大量の情報の中から自分にとって重要な情報だけを無意識に選び取っている。心理学ではこれを「選択的注意」と呼ぶ(※1、※2)。
同じ映像を見ても、脳内で自動的に呼び出される“連想の引き出し”が1人ひとり異なるのだ。綾瀬はるかへの信頼という引き出しを強く持つ人には、この映像は「美しい」「彼女だから成立する」という称賛に変換される。
一方、「ユニクロ=誰でも着られる普段着」という引き出しを強く持つ人には、同じ映像が「なぜここまで特別な絵にする必要があるのか」という違和感に変換される。
そして、日頃からメディアの報じ方そのものに敏感な人にとっては、CMの中身よりも先に「この記事の書き方」自体が引っかかりの対象になる。


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