一方で、橋本愛側の申し入れは、特別扱いを求めるものではなく、これからの制作現場では標準化されるべき当然の要請である。身体接触に関する条件を事前に確認することは、俳優のわがままではない。
危険なアクションに殺陣師やスタントコーディネーターが必要であるように、性的・親密な接触を含む場面に専門的な調整役が必要になる。問題は、そうした仕組みがまだ十分に浸透していないために、個人の配慮、マネージャーの判断、プロデューサーの調整能力に過剰な負荷がかかっていることだ。
今回の騒動は、誰か1人を悪者にして終わらせるべき話ではない。もちろん、報告書に記された男性俳優の発言は看過できないし、相手の俳優活動の継続にまで踏み込んだのは不適切である。しかし、その発言が生まれる前段階で、制作側の情報共有と環境設計が不十分だったことも見逃せない。
出演者が尊重されることも重要
インティマシーコーディネーターの導入は、今後確実に増えていくだろう。作品の質は画面に映るものだけで決まるのではない。どう作られたか、出演者が尊重されたか、現場に安全があったかも、作品への信頼を左右する時代になっている。
今回の報告書が示したのは、ドラマ制作が「感覚だけの職人芸」では成立しなくなったという現実である。優れた俳優の即興性も、監督の強い演出意図も、現場の熱気も、それ自体は否定されるべきではない。しかし、それらは他者の身体と尊厳を侵さない範囲で初めて創作の力になる。これからの映像現場に必要なのは、表現の自由を守るためにこそ、同意と安全の仕組みを整えることなのである。
今回の騒動は、芸能界の1つのトラブルではなく、日本のテレビドラマが古い制作文化から次の段階へ移るための、避けて通れない転換点だったのかもしれない。

