西ケ原の歴史において触れておかなければならないのが、まちづくり協議会の存在だ。西ケ原では2005(平成17)年に西ケ原まちづくり協議会が設立され、東京外国語大学跡地の公園整備や密集住宅地の整備、地域の防災などについて意見が交わされてきた。
1944(昭和19)年に海軍火薬庫跡地に東京外事専門学校(現・東京外国語大学)が移転し、さらにその大学が府中へ移転すると1988(昭和63)年に決まったことから、北区と都市基盤整備公団(現・UR都市機構)が跡地の活用を検討していたのだ。
そこにまちづくり協議会によるワークショップや勉強会の取り組みが加わり、2000(平成12)年に大学が移転したのち、2010(平成22)年に災害用トイレやかまどベンチを備えた公園が整備され、西ヶ原みんなの公園と名付けられた。
まちづくり協議会は一定の成果が得られたとの理由から、2025(令和7)年度をもって活動を休止している。協議会の活動により、複数の公園が設置されたり道路幅が拡張されたりと地域の防災性が向上した。
西ケ原はなぜ再開発されないのか
西ケ原は古くから人が暮らし、江戸時代には徳川幕府の鷹狩り場や御殿、桜の名所が設けられた。東京大空襲後の市街化により災害に弱い密集した住宅地が形成され、その改善のためにまちづくり協議会が活動を重ねてきた。
西ケ原の街は以上のような歴史をたどり、ゆるやかに変化してきたが、タワマンや高層ビルが建てられるような再開発は行われていない。
西ケ原はなぜ再開発されないのだろうか。続く後編で、その理由を大きく3つの視点から分析する。

