そもそも、特定の教員が損害賠償を負うおそれのある状況がある時点で、それは個人の落ち度ではなく、組織の設計、仕組みの設計の落ち度です。「ミスをしたら自分が払わされる」という恐怖の中では、先生がのびのびとした業務をできるはずがありません。
学校も「仕組みで防ぐ、役割を分ける」安全管理の常識を
回り続ける輪の中の一人を見失わずにいること。一日中、頭の片隅で「水を止めたかな」と反芻し続けること。どちらも、先生の集中力と記憶力という、限りある個人の資源に寄りかかっています。
ヒューマンエラーは「気をつければ防げる」ものではありません。「人は必ずミスをする」という前提に立って、仕組みのほうで防ぐ。もちろんプールに関しても現状仕組みによって防ぐことは行われています。
雷が鳴ったら水面から上がらせるなど、安全のために守るべきことはあります。しかし、天気を気にしつつ、少ない教員でプール授業を担当し、監視も指導も行うのは、限界があります。そのため自治体によっては、思いきって民間委託に踏み切る動きも出てきていますし、私はそれに大賛成です。
教員だけで授業を行う際は、自由時間をなくして最初から最後まで「ねらいのある活動」で構成し、全員の動きが見える隊形で行う。監視に徹する教員と、指導する教員の役割を分ける。これが現実的かと思います。
ほかにも水の管理の側では、自動で給水が止まるシステムやタイマーを入れる。専任の管理員を配置する。これが安全管理の常識です。
医療現場では薬の取り違えを複数人と機械で確認し、工場では人が間違えても危険が起きないよう装置側で止める。いずれも、現場の人間の善意や集中力をはじめからあてにしていません。
学校でも同じです。「特定の誰かが、忘れずに、頑張る」をやめて、「誰がやっても、たとえ忘れても、安全が保たれる」に変えていく。たったそれだけのことです。そしてこれは、働き方改革でもあります。
仕組みが守ってくれると分かっていれば、先生は注意力の余白を、本来注ぐべき子どもへ向けられる。属人性をなくすことは、先生の余白を取り戻すことなのです。
プール指導そのものを否定したいわけではありません。水と親しむ経験は、子どもにとって大切なものです。ただ、「楽しいから」「昔からやっているから」「気をつければいいから」で済ませてきたものの中に、見直すべきものは確かにあります。
全員を無事におうちに帰すこと。そして、先生を生贄にしないこと。この2つを同時に守るには、個人の頑張りではなく、仕組みの力が必要なのです。プールの授業を安全に、円滑に運営するための「仕組みづくり」を行う学校が、1校でも増えてほしいと願います。



