一刻も早く会場に行くことしか頭になかったから、州庁舎前の階段を上りきるまで、周囲で騒ぎが起きていることに気づかなかった。気づけば群衆が押し寄せてきていて、私たちはたちまちもみくちゃにされた。報道陣もいたが、それはほんの一部だ。群衆は口々に叫び、私たちを押し、私たちのあいだに割りこんでくる。
これは私が組織した暴動ではない…実際に起きた“群衆の波”
Facebookチームはばらばらになった。人々がマークを見つけた瞬間、状況は一気に悪化した。マークに近づこうと、人々が殺到した。州庁舎の入口をくぐろうとしたとき、群衆の波が押し寄せ、ハイヒールを履いた私の足は地面から浮いた。そのまま前へと運ばれた。
左右に激しく押されながらも、私はエリオットの手を探り当ててしっかりと握った。混乱のなかマークを捜して周囲に目を凝らす。出発前、屈強なイスラエル人から成る警備チームをコーチに、みっちりとセキュリティ講習を受けていた。彼らがどんな経歴があってこの仕事に就いているかはあまり考えないことにしている。
警備チームは私たち全員の指紋を採取した。人質に取られた場合に備えてのことで、私は自分の指が一本ずつFacebookの本社に送りつけられるところを想像した。ジャカルタでのこの騒ぎは、ひょっとして仕組まれたものではないかと心配になった。バットマン映画のように、州庁舎前の混乱に乗じて誰かが誘拐されるのではとデビーの姿が見えた。
次にマーク。Facebookの警備チームの責任者トッドがマークにぴたりとくっついている。トッドは元軍人の巨漢だ。インドネシア人と見える男の襟首をつかみ、筋肉の塊みたいな腕を引いて、男の顔にパンチを食らわそうとしていた。
あとで知ったことだけれど、トッドが殴りつけようとしていた相手は、インドネシア次期大統領の警護責任者で、なんと二つ星の将軍だった。いまとなっては笑い話だが、そのときはもう、アドレナリンと恐怖しかなかった。
これは私が組織した暴動ではない。
群衆の波は前へ前へと押し寄せてロビーに雪崩れこんだ。エリオットの手がするりと離れてしまった。私は背が低いから、もう何も見えない。誰かに足を思いきり踏まれた。人の波にもまれながら、痛みに悶えた。やがてようやく抜け出せた。群衆はそのまま流れ去った。
Facebookチームの姿はどこにも見えない。そうか、ほかのメンバーはもう次期大統領との面会の会場に行ってしまって、私だけ取り残されているのだ。私は警備員に守られたドアに駆け寄った。なかに入る寸前、脱げた靴を見つけた。州庁舎の豪華なロビーにぽつんと転がっていた。
いったん戻り、踏まれて血のにじんだ足を拭って、靴を履き直した。蒸し暑いなかでもみくちゃにされたせいで身なりはひどく乱れていて、靴を履いたくらいではちっとも“きちんとしたプロらしい人”には見えないだろうけれど。
警備員に止められるのを覚悟しつつ、なかば強引に会場に突っこんでいった。ちょうどマークが次期大統領に優先課題を尋ねているところで、私は外交儀礼に沿った静かで慇懃なやりとりを派手にぶち壊してしまった。事前に練習しておいたインドネシア語のフレーズで次期大統領にぎこちなく挨拶し、マークが隣に空けてくれたスペースに腰を下ろした。


