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ライフ #廃墟モールの経済学

「ダイエーが開業すぐに2度改装」「サティも早々にテナント入れ替え」…激戦地・いわきが「廃墟モールのある街」になった顛末

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いわき市の大型ショッピングセンター「いわきエブリア」
1990年代に日本一の商業激戦地と揶揄された福島県いわき市は、その後30年間どのような道のりを歩んだのだろうか?(写真:筆者撮影)
  • 坪川 うた ショッピングセンター研究家・ライター
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なかでも商業の中核であった平地区のいわき駅周辺には、地元百貨店の「大黒屋」(1970年開業)、「イトーヨーカドー平店」(1971年開業)などが営業していた。いわき駅から2kmほど南下した場所に、地元スーパー藤越の「スーパーセンター谷川瀬」も存在した。

主に地元資本で飽和していたところに、1995年秋〜1996年春にかけ、県外の大手資本による大型店が相次いで3店舗も進出する。「いわきサティ」(1995年9月開業)、ダイエーを核とする「鹿島ショッピングセンター」(1995年10月開業)、長崎屋を核とする「ラパークいわき」(1996年3月開業)だ。

「いわきサティ」はいわき駅周辺、「イトーヨーカドー平店」と「スーパーセンター谷川瀬」の中間に位置していた。特筆すべきが「鹿島ショッピングセンター」と「ラパークいわき」で、この2施設は旧市町村時代の中心地である駅付近ではなく、平地区と小名浜地区を結ぶ鹿島街道周辺に建てられた。駅前ではない郊外に、一大商業地を創造したのだ。

いわき駅周辺の平地区から小名浜地区にかけての主な大型店。店名は1996年時点の表記。黄色ピンはいわき駅(画像:Googleマイマップより)

これらの大手資本の進出を睨み、藤越は1994年11月に「スーパーセンター大原」をオープン。「イトーヨーカドー平店」も増床した。

全国でも突出した大型店の過密都市といわれ、複数の業界誌が「近未来の激戦地いわき」「日本一の激戦地」「全国一の商業激戦区」などとタイトルをつけ、いわき市の出店ラッシュぶりを伝えている。

これほどまでに一斉に大型店が進出したのは、1992年に大規模小売店舗法の規制が緩和され、大型店が出店しやすくなったからである。

乗り込んできた大型店も既存店も苦戦

競合環境の厳しさから新興勢力の大型店は苦戦を強いられ、「いわきサティ」と「鹿島ショッピングセンター」は、開業初年度に売上予算を達成できなかった。「ラパークいわき」は売上目標をクリアしたものの、核店舗の長崎屋は予算未達であった。

ダイエーは開業から2年のうちに2度も改装。「いわきサティ」でも早々にテナントの入れ替えが実施された。「ラパークいわき」に出店していた生鮮安売り店のダイナマートは、オープンから1年も経たないうちに閉店した。

各施設の不振には個別の要因も存在するが、共通しているのは想定商圏と実際の商圏のズレである。いわき市全域からの集客を見込んでいたが、実際にはそこまで商圏が広がらなかったのだ。

例に漏れず、既存店のイトーヨーカドーや大黒屋、藤越も影響を受けた。「イトーヨーカドー平店」の売上は1995年度の92億3600万円から、1996年度は82億1800万円、1997年度には78億2800万円にまで下落した。

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【中心市街地もダメージを受けた】

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