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ある「台湾老兵」の激動の人生、日本へ伝えたかったそのメッセージとは? 日本兵・国民党兵・政治受難、知られざる血涙の物語

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日本軍兵士、国民党軍兵士、政治犯……。激動の台湾現代史を生きた許昭栄さんの記念碑(写真:筆者提供)
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その後、旗津に「戦争と平和記念公園」が造成される中、2008年に許昭栄さんら老兵にとって衝撃的な動きが起きる。高雄市議会で国民党寄りの野党・親民党の市議の発議で突如として公園の名前を「八二三砲戦記念公園」に変えようという議案が賛成多数で可決されたのだ。

これは、1958年の第2次台湾海峡危機で台湾が金門島を防衛したことから名前を取ったものだ。さらに、名称を変更するだけでなく、無名戦士の石碑なども撤去するという議案も可決した。

冒頭で触れたように、当時の台湾では国民党の馬英九氏が総統選に勝利、国会に当たる立法院でも国民党が勝利して、民主進歩党(民進党)の陳水扁政権から政権交代を果たした時期だった。

本来「無名戦士を悼むための公園」として、それを象徴するような名前を掲げたのに、新たな政権側に媚びるかのような名前に変更しようとする。許昭栄さんはこれを必死に止めようとしても、政治の力は大きかった。

許昭栄さんが残したもの

あまりの政治の非情さ、さらには老兵たちへの不義理に思い悩んだのか、許昭栄さんは極端な行動に出る。2008年5月20日夜、旗津の公園内で許昭栄さんは焼身自殺をする。知人・友人らに残した遺書が残され、さらに自宅のカレンダーには5月20日のところに「訣別の日」と日本語で記されていた。

この事件をきっかけに、台湾全土で公園を守ろうという声が高まった。そして当時の高雄市長で民進党の陳菊氏と市政府文化局が本腰を入れて動くこととなった。

その結果、「戦争と平和記念公園」の名前は変わることなく翌2009年に記念館を中心に開園した。16年には、民進党所属で当時の蔡英文総統が公園を公式訪問、老兵らを慰労した。

許昭栄さんら台湾老兵が設立に献身した「戦争平和記念公園」。写真中の3人の写真は、日本軍、国民党軍(国府軍)、人民解放軍の軍服を着た兵士を示している(写真:筆者)

台湾の老兵たちは、「日本軍兵士」「国民党兵士」「共産党兵士」「政治犯」と時代に翻弄され続けた。戦後、日本は「日本人ではないから」と、彼らの要望をくみ取る十分な対応をしてこなかった。だからこそ、許昭栄さんら老兵は「せめて自分たちが生きた証しがほしい」という思いから、活動を行ってきた。

日本と台湾は友好が続いている状況だが、日本軍兵士として日本のために働き、そして許昭栄さんのような日本の仲間たちと苦難を乗り越えた思いを、後世の日本へのメッセージとして現在の日本人の間で共有できれば幸いである。

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