台湾が蒋経国政権末期の1987年に戒厳令を解除、蒋経国の後継となった李登輝総統は民主化を加速させ、海外の政治犯の名誉回復を行うなど1990年代に入って、許昭栄さんを取り巻く環境が劇的に変化した。
許昭栄さんは8年に及ぶカナダでの亡命生活を終え台湾に戻る。政治受難者として名誉も回復し、すでに白髪が目立つ年齢となっていた台湾兵(台湾老兵)問題について奔走することになる。中国大陸に残されたままである人たちの台湾への帰還促進や、国共内戦で国民党兵として参加した台湾出身兵の正確な調査など精力的に行った。
「民主化」の中、忘却との戦いへ
台湾老兵たちは許昭栄さんとともに「自分たちが生きていた証拠を残そう」とすべく、時間という忘却との戦いがはじまる。1998年6月末、台湾南部・高雄市の市立文化センター前に老兵たちが集まり1週間に及ぶハンガーストライキを決行。中には杖を突き、車いすに乗って参加した人もいた。梅雨も明け炎天下の中で、命に別状はなかったものの8人が救急車で運ばれた。
さらに7月3日には高雄市政府前で、台湾の無名戦士たちを悼む施設を建てるために、土地の確保などを求める請願活動を行い、市長への直接談判を求めた。当時の呉敦義・高雄市長は面会に応じ、高雄港近く、東シナ海を望む旗津(チージン)の土地の提供を約束した。
呉敦義氏は台湾中部、現在の南投県生まれの「本省人」で、李登輝元総統と同じく蒋経国総統時代に抜擢され国民党へ入った経緯がある。台湾は一党独裁から奇跡の民主化を遂げたが、体制側にもこれまでの歴史を無視できず、民主化を受け止めようとする努力が重要だったのだ。
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【許昭栄さんが残したもの】
