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ある「台湾老兵」の激動の人生、日本へ伝えたかったそのメッセージとは? 日本兵・国民党兵・政治受難、知られざる血涙の物語

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日本軍兵士、国民党軍兵士、政治犯……。激動の台湾現代史を生きた許昭栄さんの記念碑(写真:筆者提供)
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その後、許昭栄さんはカナダでは政治難民を受け入れ保護する制度があることを知る。1986年9月18日の夜、許昭栄さんは1人、ロサンゼルスからカナダのトロントまで自動車で出発する。この日は旧暦で8月15日、ある故事にならい「暁の脱走」と称し、自由への亡命の日と設定しての旅だった。

5泊6日、1日平均1000キロメートルにも及ぶ強行軍を戦時中の日本軍歌を歌いながら進んだ。時に戦中の軍歌である『愛馬進軍歌』の一節「国を出てから幾月ぞ」や、『戦友』の「ここは御国を何百里」といった歌詞に触れたときは涙が止まらなかったと打ち明けた。

無事にカナダまでたどり着いた許昭栄さんは亡命が認められ、さらに生活まで保障された。一方で、かつて日本海軍時代「鬼畜」と叩き込まれた「敵国」、しかもこれまで兵役や納税といった国民の義務を果たしていないカナダで亡命が認められ、自由を得たことに戸惑いを覚えたという。

台湾老兵の名誉回復運動へ

しかし、時が経つにつれて約40年前の国共内戦で離ればなれになった台湾のかつての仲間の姿が脳裏をよぎり、中国大陸で行方不明となった仲間の捜索や亡くなった人の遺骨収集を行いたいという気持ちが強くなっていく。

そこで、1989年2月にカナダ政府からの「難民旅券」を受け取り日本経由で北京に向かおうとしたが、ここでも日本政府に裏切られる。ビザ申請が却下されたのだ。

そのため北京まで直行したが、許昭栄さんは国共内戦で国民党兵となった台湾の仲間たちが受けた中国大陸での悲劇を知り、衝撃を受けることになる。

当時、捕虜になった人の中には1950年に勃発した朝鮮戦争(~53年)で義勇軍として送られ戦死した。生き残った者も、その後の毛沢東による文化大革命などで「反革命分子」として過酷な迫害を受けていた。「彼らは誰のために戦い、何のために死んでいったのか」と、許昭栄さんは台湾兵に対する活動への想いを固めていく。

前述の「228事件」ではいわゆる「知識層」や「有名人」などが迫害を受けたため、当時でも台湾で関心は高かった。しかし台湾兵たちはいわば一般人かあるいは貧しい家庭の出身が多かった。そのせいか台湾の国会や知識層の人たちへの「コネ」がなく、関心が高まらなかったのだと許昭栄さんが打ち明けたとき、筆者は強い衝撃を受けたことを今でも覚えている。

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【民主化は進んだが…】

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