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ある「台湾老兵」の激動の人生、日本へ伝えたかったそのメッセージとは? 日本兵・国民党兵・政治受難、知られざる血涙の物語

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日本軍兵士、国民党軍兵士、政治犯……。激動の台湾現代史を生きた許昭栄さんの記念碑(写真:筆者提供)
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1968年に緑島から帰ってきた許昭栄さんであったが、友人たちの計らいで厚遇の就職先を紹介された。しかしそのことがかえって災いとなった。

70年に会社に特務(警備総部)が突然やってきて許昭栄さんは再び逮捕される。会社の段ボールに「MADE IN TAIWAN」と印刷して流通させたという罪であった。

まったく身に覚えのない出来事であったが、幸い不起訴となった。後に、当時の特務の話で通報者が当時の会社の同僚であったことがわかった。これは台湾の白色恐怖時代から民主化後も尾を引いた「人々の相互不信」の象徴的なケースだろう。

許昭栄さんは持ち前の努力により1985年にアメリカで台湾エビに関するビジネスを手掛ける。しかし会社を設立した直後の86年、ロサンゼルスにある「中華民国政府」の外交機関事務所の前でのデモに参加したことで、3回目の政治迫害を受けることになる。

デモに参加中の許昭栄さん。隣は、施明徳氏夫人だったLinda Gail Arrigoさん(写真:筆者提供)

そのデモは、緑島に収監されハンガーストライキを行っていた民主活動家の施明徳氏(1941~2024年)の釈放や、台湾で停止されている憲法を復帰させるといった民主化を要求するデモだった。

「国際難民」として送った亡命生活

このデモに参加した2カ月後、台湾へ帰国するためのビザ発行が取り消され、さらにはパスポート期限が6カ月を切っており、延長もできなかった。アメリカに亡命したある台湾人から、台湾の本国政府からロサンゼルス事務所に連絡が入りブラックリストに入っていたことを知らされた。

台湾にも帰れず、アメリカにも滞在できない。許昭栄さんはビジネスをするどころか、いわば「国際難民」となってしまった。

窮地に陥った許昭栄さんに、危険を承知で手を差し伸べたのはかつての海軍の仲間など、日本の友人らだった。直接ロサンゼルスへ赴き生活費用などを渡しに来た人や、日本への滞在支援など、さまざまな活動が行われた。

しかし駆け付けたロサンゼルスの日本総領事館では、「政治庇護」も「国際難民」の救援措置も整備されていないとむげもない対応を取られる。許昭栄さんは、命がけで戦ったかつての祖国日本の対応に失望させられる。

「日本の中には台湾同胞より私を愛護してくれた方が数えきれないほどいる。それなのに日本の政治屋や政府の役人の元日本軍人軍属に対する振る舞いはあまりにも冷酷無情すぎる」と許昭栄さんは後に悔しさがにじんだ当時の心境を打ち明けてくれた。

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【台湾老兵の名誉回復に献身】

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