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ある「台湾老兵」の激動の人生、日本へ伝えたかったそのメッセージとは? 日本兵・国民党兵・政治受難、知られざる血涙の物語

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日本軍兵士、国民党軍兵士、政治犯……。激動の台湾現代史を生きた許昭栄さんの記念碑(写真:筆者提供)
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日本降伏後、台湾では新政府を「熱望」して迎えた。その直後からさまざまな不祥事や衝突が発生したものの、それでもまだ「希望」を持っていた。

ところが、1947年に台湾全土に広がった「228事件」以降、新政府への希望は「絶望」へと変わった。国民党のやりたい放題の不正・腐敗に怒った民衆は全国で抵抗したが、新政府は武力でこれを鎮圧、多くの犠牲を出したためだ。事件後、とくに日本軍および軍属に関わる経験をした者は政府から目を付けられ、厳しい監視や差別にさらされた。

許昭栄さんも例外ではなく、国民党兵として強制的に徴用された。台湾の港から真夜中に出港した際、船の甲板から飛び降りて逃げようとする者も少なくなかったそうだ。船は中国・青島に到着したが、中国大陸ではすでに国民党政府側に不利な戦況であり、戦闘は凄惨をきわめた。

許昭栄さんは無事に台湾に戻ることができたが、戦地では多くの台湾の仲間が置き去りになった。その心残りが40年後、「台湾老兵」活動を行う原動力となった。

国共内戦と「白色恐怖」

1949年に入ると中国大陸での戦況はさらに厳しくなり、同年5月20日に「台湾省政府」が戒厳令を施行、これは1987年まで約38年続いた。同年10月に中国大陸では中華人民共和国が建国宣言され、敗北した国民党政府は政府機能を台湾に移し台北を臨時首都とし東西冷戦のフロントラインとなった。

そのような国民党存続の危機の中で、体制を維持させるため民衆への自由が制約されたのだ。いわゆる「白色恐怖(テロ)時代」を台湾は迎えることになる。

そのような中、1958年に許昭栄さんは台湾に持ち込みが禁止されている書物を持ち込んだ罪で逮捕された。台湾では戒厳令下で正常な司法が停止していた。結果、台湾本島の台東から太平洋側に約30キロメートル離れた孤島であり、多くの政治犯が収容されていた緑島で過ごすことになる。

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【「国際難民」になってしまった許昭栄さん】

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