屋内プール保有校のプール開放率は全体で20.8%。屋外プール保有校においては、全体でわずか6.9%しか開放していないという。
このデータの背景には、息子の小学校から通達があったのと同様に、以下のような問題が深刻化し、学校単独での水泳授業の運営が年々難しくなっている事情があるようだ。
・プール維持費の高騰化
・猛暑による熱中症リスク
・安全管理のハードルの高さ
・プールの老朽化と改修費用の負担
・肌の露出への抵抗感が強い児童の増加
一部の自治体では民間スイミングスクールへの委託が進んでいるが、すべての学校・家庭がその恩恵を受けられるわけではない。民間企業への委託に踏み切っている場合も、息子の学校のように実施回数が限定的であることも多いようだ。
結果として、“学校で泳ぎを学ぶ”という機会そのものが、今の日本では静かに失われつつある。
“泳げない”は本当に危険なのか
ここで改めて考えたいのは、“泳げないこと”の意味だ。
そもそも日本の学校で水泳授業が実施されるようになったのは、1955年に高松市沖で旧国鉄の連絡船『紫雲丸』が沈没し、修学旅行中の小中学生ら150人以上が犠牲になった大規模な水難事故がきっかけだといわれている。
泳力の有無は、危機的な状況下において確かに命の存続を左右する一因になる。しかし、海上保安庁や消防庁からの発信に注意を向けてみると、水難事故の現場において何よりも大切なのは、泳力そのものよりも“パニックにならないこと”だと指摘されている。
突然足がつかなくなったとき、水中でどう体を保つか。流れにのまれたとき、どう対応するか。こうした場面で生死を分けるのは、華麗な泳ぎではなく、“落ち着いて浮けるかどうか”なのだという。
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【水泳教育の本質は…】
