こうした過去への回帰を含めた「強い国」の希求が憲法改正の要求に表れています。自民党草案(2012年)では、「国防軍」「領土」「国旗及び国歌」が明記されました。なぜ憲法を変えねばならないのか、その根本的な動機は敗戦によって愛する「過去の日本」と決別させられてしまったことです*3。
軍事力の強化についても折にふれて推進の動きがみられます。また、尖閣諸島をめぐる中国との対立、竹島(独島〈ドクト〉)をめぐる韓国との対立が2010年代に過熱しました(領土問題)。問題となっている領土もこの時代のアジア進出と不可分のものです。
右派の原動力となっているもの
このように、現代日本社会のナショナリズムは、大日本帝国時代における国家主義、侵略戦争と分かちがたく結びついているという特徴があります。そして、その反省として構築された(させられた)戦後体制からの脱却が目指されています。右派の象徴的存在であった安倍元首相が「戦後レジームからの脱却」を繰り返し主張したように、右派の多くはいまもなお、過去の戦争を戦っているのです。
もっとも右派からすると、自分たちは好きで戦っているのではない、やむにやまれず戦う羽目になっているのだ、という思いでしょう。これについては、社会・政治の大きな変化が関連しています。
第一に、東西冷戦の終結と近隣諸国とのパワーバランスの変化です。20世紀には、冷戦下の国際秩序を維持することが最優先の課題であり、戦争の総括は二の次とされました。また、中国や韓国といった被害国もそれぞれの事情からそのことを声高に求める状況ではありませんでした。
しかし、韓国の民主化、中国の大国化という冷戦後の東アジアの変化によって、日本はあらためて過去の戦争の「反省」を迫られることになり、さまざまな問題に光が当てられることになりました。領土問題もかつてのような「棚上げ」では済まされない状況になったのです。
第二に、国内政治の変化、55年体制の終焉です。1993年、長期政権を担ってきた自民党は下野し、政権復帰のために社会党との連立を余儀なくされました。自民党はその後も公明党の協力によって政権を維持せざるをえず、2009年には民主党に政権を奪われました。このように、自民党政権が盤石ではなくなり、時として右派には不本意な政治的決定もなされるようになりました。たとえば、戦後50年の村山談話(1995年)はその象徴として位置づけられています。
こうした社会・政治の変化は右派勢力に大きな危機として受け止められました。1990年代後半には「日本の前途と歴史教育を考える若手議員の会」が作られて右派議員が結集したり、既存の右派運動団体が集約され、「日本会議」として再組織化されたりしています。また同じ時期、右派知識人・文化人を中心に「新しい歴史教科書をつくる会」が結成されました。日本会議も「つくる会」も全国各地に支部を作り、広く活動を展開するようになりました。
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【啓発的役割を果たしたメディア】
