サナエトークンだけではなかった高市首相の"致命的な死角"、危機管理の拙さで想起される「森元首相えひめ丸事故」の教訓

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高市首相は2月28日、石川県知事選の応援のために午後4時53分羽田発の日本航空189便に乗り込んだ。ロイターはすでに午後4時に「米・イスラエルがイランに大規模攻撃、体制転換視野に最高指導者も標的」と報じていた。

高市首相は金沢市内の講演で、「イランで大変なことが起こっている。それで飛行機に乗ろうかどうか、だいぶ迷った」と発言。その判断に野党側から「首相の責任より政治活動を優先した」と批判された。

もっとも、高市首相は金沢市内の演説会場で「かなり前からさまざまな動きを、情報を見ながら、イランにお住まいの邦人の皆様に早めに国外に退避していただく対応を続けていた。この後、危機管理、万全の体制を整えていく」と説明。国家安全保障会議は高市首相の帰京を待って、同日午後10時45分に開催された。

イランには約200人、イスラエルには1000人の邦人が滞在しているが、現在のところ負傷者が出たとの情報はない。しかし、2月23日にはNHKのテヘラン支局長が拘束され、政治犯らを対象とするエビン刑務所に収監されたとの報道がある。イラン攻撃は日本にとって対岸の火事ではなく、まさに国民の生存権の問題となっている。

森元首相を追い詰めた「危機管理事案」

同様の事態で想起されるのが森喜朗元首相だ。森元首相は2000年5月15日の神道政治連盟国会議員懇話会で行った「神の国発言」で、支持率を急落させた。そして同年6月の衆院選では「無党派層は寝ていてほしい」と述べ、自民党は38議席も減らすことになった。

森政権に致命傷を与えたのは、01年2月10日に発生した「えひめ丸事故」だった。ハワイのオアフ沖で愛媛県宇和島水産高校の漁業練習船「えひめ丸」に、急浮上してきたアメリカの潜水艦が激突。生徒ら9人が死亡した。

えひめ丸事故
「えひめ丸」と原子力潜水艦「グリーンビル」の衝突事故で、対策を協議する(左から)福田康夫官房長官、森喜朗首相、河野洋平外相ら。右端は当時の安倍晋三官房副長官(写真:時事)

このとき、森首相(当時)は休暇をとってゴルフをしていた。事故の第一報を聞いたが、そのままゴルフを続けたことが危機管理意識の欠如とされ、首相辞任を余儀なくされた。後に森元首相は「秘書官から様子を見るから、そちらにいてくれと言われた」と明かしたが、判断するのは首相本人だ。

高市首相のこれまでを振り返ると、危うさと隣り合わせの状況がよくわかる。経済安全保障担当相時代の23年3月15日の参院予算委員会では、野党から放送法をめぐる質問に対して、高市首相は「私の答弁を信用できないのなら、もう質問しないでください」と発言。20日には末松信介参院予算委員長(当時・自民党)からの注意を受け、発言を撤回した。しかし、首相となると、ちょっとした発言でも足元をすくわれかねない。

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