燃え盛るドラム缶「30年前の大阪・西成」で見た現実 覚醒剤の路上密売人は消え、小中一貫校が新設も残る課題

燃えさかるドラム缶、炊き出しの行列
「長年にわたって問題が放置され、複雑に絡み合って蓄積してきた地域。まさにミッション・インポッシブルでした」
学習院大教授(社会保障論)の鈴木亘(わたる)さん(54)はそう振り返る。かつて西成特区構想を担う大阪市特別顧問を務めた。
貧困、治安、環境、少子高齢化――。日本最大級の日雇い労働市場があり、様々な社会問題を抱える釜ケ崎をどうするか。課題を改善し、まちを活性化させようとする市の構想が始まって10年以上が経つ。
上智大を卒業後、日本銀行京都支店に配属されてまもなくの1995年、鈴木さんは上司に連れられ、初めて釜ケ崎を訪れた。
バブル崩壊後の不景気だった時期。燃えさかるドラム缶があちこちにあり、ホームレスが炊き出しに行列をつくっていた。ただただ驚いた。
「こういうところに来ないからホンマの景気がわからんのや」
このときの上司の言葉が頭の片隅に残った。1998年に日銀を退職し、社会保障、福祉の問題を経済学で解決しようと大阪大大学院に入学。ホームレスや生活保護受給者の実態を知るべく釜ケ崎に通い続けた。
「人と金を使って、えこひいき政策をする」。2012年、橋下徹・大阪市長(当時)がそう宣言し、財政と人材を集中投入して特区構想が始まった。
その後、鈴木さんは思いがけず、大阪維新の会の幹部からリーダー役を打診された。
政治や行政の経験はない。矢面で批判を受けるのは目に見えている。ただ、当初はホームレスの一掃など弱者排除につながらないかと懸念する住民や支援者が多く、実情をわかる人がやった方がよいと引き受けた。