ウェルビーイングが導く、社会課題の解決法・後編 多様な「やりがい」「つながり」の充実を目指して

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写真左/前野隆司氏(慶應義塾大学大学院教授/武蔵野大学教授) 写真右/山藤昌志氏(三菱総合研究所 主席研究員)
写真左/前野隆司氏(慶應義塾大学大学院 システムデザイン・マネジメント研究科教授/武蔵野大学ウェルビーイング学部長・教授) 写真右/山藤昌志氏(三菱総合研究所 政策・経済センター 主席研究員)
慶應義塾大学大学院教授・武蔵野大学教授の前野隆司氏と三菱総合研究所(MRI)主席研究員の山藤昌志氏の対談では、ウェルビーイング(Well-being)の指標化が社会課題の最適解を導く大きな手がかりになると意見が一致した。さらに前野氏は、ウェルビーイングは多義的で多様でありながら、その基本原理はシンプルだと指摘する。山藤氏は、「ウェルビーイングを目指す」というシンプルなゴールが多様性や分野の壁を越えて一致することの先に、複雑に絡み合う社会課題解決の可能性を見ている。(前編はこちら)

ウェルビーイングに最適解へのヒントがある

山藤 ウェルビーイングの追求は、実は当社の理念とも深く関わっています。2020年の創業50周年を機に、私たちMRIの新たな経営理念を策定し、ミッションを「社会課題を解決し、豊かで持続可能な未来を共創する」と定義しました。従来の官公庁向けの調査受託事業や民間企業向けのコンサルティング事業にとどまらず、自主研究機能を強化し、社会課題解決に向けて意欲的に提言していくとともに、その具体的な施策の社会実装まで担うことを目指しています。

ただ、いざ挑戦してみると、別の課題も見えてきました。私の専門である人的資本分野では、人手不足の解決策としてAI活用が有力視されています。しかしAIもコンピュータープログラムの一種ですから、利用が増えれば電力消費を拡大させ、電力不足を引き起こす可能性が見えてきました。仮にそれを補うために化石燃料による火力発電を増やせば、今度は脱炭素に逆行してしまいます。

三菱総合研究所 政策・経済センター 主席研究員 山藤 昌志氏
三菱総合研究所 政策・経済センター 主席研究員
山藤 昌志(さんとう・まさし)
人材、労働、社会保障分野を中心とする政策提言、労働需給や人口動態、健康寿命に関するシミュレーション、各種統計手法を活用したデータ解析などに従事。現在は研究提言チーフとして人材分野の自主研究や企業との共同研究、政策提言の取りまとめを担当する。

前野 なるほど。いろいろと手詰まりになってしまいますね。

山藤 はい。少なくとも単一課題だけを解決しようと考えても駄目で、あらゆる部門の知を統合して、複雑に絡み合う社会課題をトータルで解決していく視点が極めて重要であると改めて感じました。

まさにシステム問題で、にわかに解決策が出せるわけではないのですが、ここでも「ウェルビーイング」が重要な要素になると考えています。あらゆる課題をすべて100%解決するのは難しいとしても、相対的にウェルビーイングが最も高くなる組み合わせが望ましいのは確かです。複雑な社会課題をトータルで解決していく方法として、このウェルビーイングの視点を生かしていけるのではないか。政策や企業活動からその社会的インパクトへのロジックモデルにウェルビーイング指標を取り入れるという議論にも通じる視点ですが、社会課題にウェルビーイング指標を結び付けていくことで、最適なソリューションを導く重要なヒントになるのではないかという仮説を持っていますが、いかがでしょうか。

前野 ベンサムの「最大多数の最大幸福」に通じる考え方ですね。確かにできる限り、全員のウェルビーイングを高めることが望ましいでしょうが、格差社会の中で貧困層の幸福をどう扱うか、福祉政策のような話も含まれますし、現在世代の幸福と次世代の幸福をどう折り合わせるか、時間軸も取り込む必要があり、なかなか複雑な問題ではありますね。ウェルビーイングの目的関数をどう設定するかがカギとなるのでしょう。ただ、今後はAIを活用すればそれも可能になっていくかもしれません。

慶應義塾大学大学院 システムデザイン・マネジメント研究科教授/武蔵野大学ウェルビーイング学部長・教授 前野 隆司氏
慶應義塾大学大学院 システムデザイン・マネジメント研究科教授/武蔵野大学ウェルビーイング学部長・教授
前野 隆司(まえの・たかし)
1984年東京工業大学工学部機械工学科卒業、1986年東京工業大学理工学研究科機械工学専攻修士課程修了、同年キヤノン株式会社入社、1993年博士(工学)学位取得(東京工業大学)、1995年慶應義塾大学理工学部専任講師、同助教授、同教授を経て2008年より慶應義塾大学大学院 システムデザイン・マネジメント研究科教授。2011年4月より2019年9月までSDM研究科委員長。2024年4月より武蔵野大学ウェルビーイング学部教授兼務。この間、1990年-1992年カリフォルニア大学バークレー校Visiting Industrial Fellow、2001年ハーバード大学Visiting Professor。

山藤 慶應義塾大学医学部の宮田裕章教授が、「最大多数の最大幸福」ではなく「最大多様の最大幸福」というユニークな表現をされています。AIとデータサイエンスの発達により、個に寄り添った施策をきめ細かく行うことができ、幸福も最大化できるはずだと。

前野 なるほど。一人ひとりに個別最適化された政策というのはなかなか面白い視点ですね。ベンサムのように「最大多数」を目指すのではなく、「すべての人の多様な幸福」に寄り添うということでしょう。

ウェルビーイングは一人ひとり違うから、世界で80億通りのウェルビーイングがあると思うと大変ですが、ウェルビーイングの本質は「やりがい」と「つながり」の2つに行き着きます。仕事でも趣味でもやりがいを感じている人のウェルビーイングは高く、やらされ感で働いている人、プライベートでも生きがいを感じられていない人のウェルビーイングは低い。また、人とのつながりが希薄で、孤独な状態の人は幸せを感じにくい。その意味でウェルビーイングの基本原理はシンプルなので、データ解析はしやすいかもしれません。

もちろん、「やりがい」も多種多様なので簡単ではないですが、世界人口80億人分の「やりがい」と「つながり」を、社会課題解決と結び付けながらロジックモデルをつくっていく。山藤さんがおっしゃったように、複雑な社会課題をトータルで解決していくにはこの発想が必要なのでしょう。現在の生成AIの劇的な進化を考えれば、十分可能な気がします。

社会課題解決の究極のゴールに

山藤 こうした社会課題解決に向けて、もう1つ重要なのは分野横断的な連携ですね。先ほどの人手不足の例のように、課題解決策を実装していくには、人材分野と情報通信分野とエネルギー分野の横断的な連携が不可欠になります。

前野 日本人は分野横断の連携が苦手とよくいわれますよね。ただ明治維新のような時代の変革期には、渋沢栄一や岩崎弥太郎のような人物が現れて、身分や立場、業種・職種などの壁を乗り越えて活躍しましたので、全員が全員、社会全体を見据える統合的な思考が苦手というわけではないと思います。ただ真面目なので、大きな危機が訪れない限り、セクションごとの仕事を優先してしまう人が多いのかもしれません。

私自身がウェルビーイング学会や大学のウェルビーイング学科を創設してみて感じたのは、ウェルビーイングに取り組むことは必ず分野横断的な活動を引き起こすということです。そもそも人類にとっての最上位価値ですから。みんながウェルビーイングを目指すことで、社会の至る所で分野横断連携が進むのではないでしょうか。

例えば、デジタル庁の「デジタル田園都市国家構想」の一環として、私が検討会の座長を務めて「地域幸福度(Well-Being)指標」というものをつくりました。デジタル庁は内閣に設置された、首相が長を務める行政機関ですが、デジタル推進や情報活用は縦割りでやっていては意味がないので、省庁横断的な役割を担っています。しかもウェルビーイングを大きなテーマとして掲げているので、さらなる横断連携の起爆剤になっていると思います。デジタルもウェルビーイングも、セクショナリズムにはそぐわないものですから。

今日、こうしてMRIの山藤さんと私の対談が実現したのも、ウェルビーイングという同じゴールを目指しているからですよね。

山藤 おっしゃるとおりですね。私たちとしてもウェルビーイングを最上位のゴールに据えることで社会全体に分野横断的な連携を促し、社会課題解決を主導していきたいと思います。

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※この対談は、『フロネシス25号 その知と歩もう。』(東洋経済新報社刊)に収録したものを再構成したものです。