「玉木不倫」許す人のちょっと身勝手な"思考回路" 批判殺到の松本人志と命運分けた「許される条件」とは
象徴的なのは、そんな難しさがわかったうえで「松本さんクラスの大物は仕事とプライベートは別で評価すべき」という声があがっていること。長年お笑いのトップに君臨してきた人物だけあって、コアなファン層だけでなく、ライトなファン層であろう人々からの待望論も目立っています。
「玉木不倫」はなぜ許された?
一方、玉木代表も表に出る仕事ではあるものの、前面に押し出しているのは個人ではなく政策。また、政党のポジションよりも政策の実現、政党の対立よりも問題の改善・解決を優先するなどの姿勢を見せることで世間の人々に訴求してきました。
特に「手取りを増やす」という自分たちの生活にかかわる経済政策が押し出されているため、「仕事とプライベートは別で考えたほうがいい」という声につながった感もあるのでしょう。
実際、ネット上には「衆議院議員選挙をきっかけに生まれたこの流れを止めないほうがいい」というニュアンスの声が散見されます。
それどころか不倫騒動があったことで、むしろ「こんなことに流されず政策実現能力を評価すべき」という強烈な支持の声があがっているところもあり、これまでの不倫騒動とは異なるムードを感じさせられます。
もちろん純粋に玉木代表の能力を認めている人もいるのでしょうが、それと同等以上に「自分たちにかかわることだから、今回は別の話にしたほうがいい」という気持ちもあるのではないでしょうか。
つまり玉木代表の不倫騒動で明らかになったのは、「不倫が許されるか、許されないか」も「仕事と不倫は別で考えるべきか」も、自分にかかわることかどうかで世間の反応は変わり得るということ。
2010年代中盤から不倫騒動が長期化したこともあって、「不倫はよくないことで嫌悪感はあるが、基本的に家庭内の話であり、それだけで社会的に抹殺されるほどのものとは言いづらい」という認識が多数派を占めはじめていました。
世間の人々は「有名人のプライベートに過干渉な状態になっていた」ことに気づきつつあり、玉木代表の不倫報道をきっかけに「もう仕事とは別の話としてみなせばいいだろう」と思いはじめているのかもしれません。
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