「日本一老いる村」の村長が訴える地方創生の現実 群馬県南牧村「コミュニティ崩壊が始まっている」
こんにゃく芋で栄えた豊かな村だった
――村長が南牧村で過ごした70年の間に、村はどのように変わってきたのでしょうか。
私が生まれた頃はこんにゃく芋の生産が非常に盛んで、高く取引されていた。戸当たりの農家収入は全国有数で相当高く、非常に豊かな村だった。
しかし1965年頃から農業の機械化が始まって品種改良も進み、値崩れが起きて、今までのように生活ができなくなった。私が大学生のときくらいから、農家を継いでもダメだということで、東京に行ったり、大会社に勤めたりと、だんだん転出が増えていった。
企業を誘致しようにも、道が非常に悪く、高速道路も完備しているような時代でなく交通網が悪くて難しかった。何とかやっている自治体と、うちみたいに人口が本当に激減しているところの違いは「地場産業」があるかどうか。でも、今から「南牧村といえば」というものを確立するのは至難の業だ。
――「平成の市町村合併」の時代には、隣町との合併の話もあったようですね。
隣の下仁田町と法定合併協議会で協議を終了し、議決して官報に載せるだけの段階までいったが、隣町で反対運動が起きた。下仁田にしてみたら、多くの貧乏人を抱えてどうするのかと。
他力本願ではないけれど、農業がダメになっても、ある程度スムーズに通勤可能な近隣に大きな労働力を吸収できる産業を持っている地域があれば、地場産業がなくてもやっていける。ただ、この村の努力ではどうにもならないのが現状だ。
今後広域連合や広域合併をやる選択肢はあると思うし、例えば、市町村合併で市になれば、市全体の高齢化率は下がり、財政面で有利になる部分はあるかもしれない。とはいえ現実にこの地域だけ見れば、それで人口減を食い止めて、高齢化率が下がることは考えられない。
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