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突然の大臣就任要請 構造改革継承に四苦八苦 大田弘子 その3(全4回)

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おおた・ひろこ●1976年一橋大学社会学部卒業。生命保険文化センター研究員などを経て2001年政策研究大学院大学教授。02〜05年に内閣府に出向、06〜08年に経済財政政策担当相。(撮影:今井康一)

2005年に内閣府から政策研究大学院大学に戻った。06年に第1次安倍晋三内閣が発足するとき、安倍首相と近いウシオ電機の牛尾治朗会長から電話が入った。経済財政諮問会議は守らなければ、と思っていたので民間議員の話なら引き受ける気だったが「大きいほうが来たよ」と牛尾会長に言われた。経済財政政策担当相に、という話で驚いた。

政治的な野心も、権力で人を動かしたいという気持ちもなかった。小泉純一郎内閣の竹中平蔵さんを見ていて、政策プロセスの構想力でも国会で闘うときの胆力でも、私には無理と思い、本当にお断りした。だけど1時間以上説得を受け、人間はいずれ死ぬのだから、いいかもしれないと思い始めた。

最初の記者会見で「自信は」と聞かれ、本当になかったので「ない」と答えたが、後になって、上に立つ人は絶対にその言葉を使ってはいけないと知った。

大臣となり、やらなければと思ったのは構造改革の継承。経済の回復過程で、自民党内から格差の問題などで、すべて諮問会議が悪い、元に戻せばうまくいくという議論が出てきた。逆風が強かった。諮問会議の政策プロセスを守らなければと思った。

安倍首相は完全にサポートしてくれた。「大臣に、と頼んだのは私だから聞きましょう」と言ってくれた。安倍首相は公務員制度改革に取り組んだが、官僚の抵抗がすごかった。諮問会議の民間議員が「50代から役所の外に出す早期勧奨退職があるから、天下り先が必要になる。財政投融資改革も阻んでいる。やめるべきだ」と提言に書いた。大蔵省出身の的場順三官房副長官は激怒して、諮問会議を欠席した。安倍首相は一歩も引かず、国会の会期を延長して改正国家公務員法を成立させた。

だが、在任1年で07年に福田康夫首相に交代した。私は構造改革の継承と民間議員の留任の二つだけお願いして、聞き入れられないなら降りようと思った。

福田首相からは留任の要請がなかった。待機を、と言われ、国会近くで車の中にいたら、閣僚名簿の発表があり、留任と知った。前内閣の居抜き人事だった。続投となり、二つの点をお願いしたら、結果はオーライ。福田首相からはほかに注文はなかった。

だが、衆参ねじれでつらかった。それでも予算編成の骨格は諮問会議で作った。バラまきの要求は強かったが、諮問会議の方針は守った。

(聞き手:塩田 潮)

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