日本政府の紋「五七の桐」を知っていますか 国際人にふさわしい教養を身に付けよう
「その菊のめでたさに因んだのでしょう。後鳥羽上皇に続いて、後深草天皇、亀山天皇、後宇多天皇の3代の天皇も菊紋を用いたのです。これにより、菊紋が天皇家の正紋とされ、桐花紋は副紋とされたのです」
日本国のパスポートにも、表紙には菊の紋、写真のページには桐花紋が使用されている。
「五七の桐」を切望した秀吉
「さらにこの桐花紋は、天皇家に功績のあった臣下に下賜されることがありました。足利尊氏や織田信長、豊臣秀吉、徳川家康です。尊氏はすでに足利家としての家紋があったので、これを室町幕府の紋として使用しました。五七の桐を一番欲したのは秀吉で、彼は五七の桐をアレンジして太閤桐をも作っています。家康は桐花紋を下賜されることを断りましたが、隠居地である駿府では使っていたようです」
そして時代は明治になり、1869年の太政官布告で菊紋の使用は皇室関係に制限された。そこで日本政府の紋章として、菊紋に次いで格が高い“五七の桐”が使われるようになった。法務省などは“五三の桐”を使用しているが、これは最もよく見かける桐紋だ。
「お客様からお着物のご注文をいただく際に、『“五七の桐”の紋を付けるように』とご指定を受けることがあります。ご先祖様が大きな功績をあげられたかなりのお家柄なのでしょう。その歴史の重さに、身が引き締まる思いがいたします」
首相会見の演説台の前面の“五七の桐”にも日本の歴史が息づいているのだと、高橋氏は述べる。
「あの演説台に立つ以上は、“五七の桐”が経た歴史やそれに込められた古人の思いをきちんと理解し、十分な敬意を払っていただきたいですね。そういう気持があってこそ、日本らしさを世界に発信することができますし、日本の素晴らしさを世界が認識することに繋がっていくと思います」
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