小学校で大流行「2分の1成人式」の"異様" 「美談」で済ませていいのか?

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木村:最近、学校が親に要求する「学習チェック」というのも、けっこう問題だと思っているんです。娘が小学校で「算数のドリルを家で丸つけしてください」とか言われてくるんですが、これってどうなのかなと。

親のリソースで差が出るのは、公教育の理念に反する

それを学校の側が親に求めると、親の都合によって十分に学習チェックの時間が取れなかったりしたときに、その子は学校で「勉強できない子扱い」されてしまう。親がどれくらい自分の子どもの学習に興味を持つか、時間をかけるか、というのは、親のリソースに大きく左右されることですが、それがもろに学校の活動に出ちゃうわけですね。

だからたまたま親が仕事で忙しかったり、勉強なんてやらなくてもいいよっていうタイプだったりすると、ちゃんと頑張っている子なのに「勉強が遅れている」という扱いになって、それがいじめにつながり、不登校になるようなケースもあると聞きます。

内田良(うちだ・りょう)●名古屋大学大学院教育発達科学研究科准教授。博士(教育学)。専門は教育社会学。学校生活で子どもや教師が出遭うさまざまなリスクについて調査研究ならびに啓発活動をおこなっている。これまで、柔道事故、組体操事故、2分の1成人式、部活動顧問の負担など、多くの問題の火付け役として、情報を発信してきた。ウェブサイト「学校リスク研究所」「部活動リスク研究所」を主宰。主な著作に『教育という病 子どもと先生を苦しめる「教育リスク」』 (光文社新書)『「児童虐待」へのまなざし』(世界思想社、日本教育社会学会奨励賞受賞)などがある。

内田:今、家族が持っているリソースを学校や教育の中に取り込むとか、学校の活動を家庭にまで広げるようなものがすごく多いんですよね。さっきの「2分の1成人式」もそうだし、2000年ごろからはやった「食育」なんかもそうです。

そもそも近代の学校教育って、「どんな家族や身分、地域に生まれたか、どういう性別か、ということを問わずに、どの子どもにも同じ教育を提供する」というのが目標だったんです。それがこのところ、やたらと家族というものを学校の中に取り込もうとしている。それ自体が、教育の原理として間違えているな、というふうに僕は思うんですよね。

木村:親のリソースで教育の結果に差が出るっていうのは、これは近代の公教育の理念からは、あってはいけないと思います。

内田:もしかしたら、「親を教育する」みたいな視点もあるのかな。「2分の1成人式」もそうなんですが、いくつかの資料を見ると、「親の教育に役立つ」という観点があるんです。子どもとの接点が増えて、感情的な交流も生まれるから、「親にとってよいはずだ」という。親を資源にするどころか、教育が親にまで踏み込んでいく。すごくお節介な感じです。

木村:学校教育法上、親は当然、教育の対象ではないわけですからね。
やっぱりそういうことって「学校が何のための機能なのか、何の機能を果たすのか」というところがあいまいであるがゆえに起きているところがありますね。目的があいまいだから、親の教育とか、いろんな余計なものが入ってきてしまう。

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