P&Gで人事に大ナタ、問われる日本の存在感 トップ交代、自社ビル売却の意味は何か
世界最大の日用品メーカー、米プロクター・アンド・ギャンブル(P&G)の日本拠点が揺れている。
2015年9月にはP&Gジャパンの社長だった奥山真司氏が退任。続く10月には、奥山氏の前任でアジアパシフィックのトップに就いていた元社長の桐山一憲氏も、P&Gを離れた。これでP&Gジャパンで二代続いた日本人社長の系譜は途切れた。
その後任として送り込まれたのが、チェコ人のスタニスラブ・ベセラ氏(46)だ。1991年にP&Gに入社した同氏は、長く営業部門を歴任。欧州やアジアのほか、直近5年間はアフリカ市場を担当し、ナイジェリアでは売上高を4倍にも伸ばした。日本のような成熟市場に挑戦するのは初の経験となる。
「手強い競合他社との競争があり、世界一清潔さにうるさい消費者がいる」。2015年11月、初めてメディアの前に登場したべセラ氏は、そう言及。2〜3%程度の成長しか見込めない、日本市場の難しさを十二分に覚悟していた。
ヒット商品は70年~90年代
実はP&G社内では、「私たちのブランドは世界最高品質、ただし日本を除いては」という、お決まりのフレーズがある。今や、売上高で3700億円にも達するP&Gジャパン(2015年6月期、本誌推定)だが、世界で主要日用品市場を総なめにするP&Gが唯一苦戦しているのが、この日本市場だからだ。
かつて1980年代後半には日本撤退すら検討されたという。1990年代後半以降、日本市場に特化した商品開発やマーケティングが奏功し、一時は挽回した。メーカーとの直取引やリベート廃止など、大規模な流通改革も推進。しかし2000年代からは、成長の糧となる大ヒット商品を生み出せていないのが、実態である。
幼児用紙おむつ「パンパース」(1977年)、生理用ナプキン「ウィスパー」(1986年)、スプレー消臭剤の「ファブリーズ」(1998年)──。誰もが名を知るP&Gの製品は、みな1970〜1990年代に投入。日本人の生活様式を知り尽くした、花王やユニ・チャーム、ライオンなどの国内企業を相手に、圧倒的な強さを見せつけることはできていない。
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