野田聖子議員が「不出馬」に追い込まれた深層 7日夜の岸田派会合が勝負を決めた

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1998年、史上最年少の大臣だったころの野田聖子氏(写真:Reuters/AFLO)

野田聖子衆院議員が20名の推薦人が集められず、自民党総裁選への出馬を断念した。かねてから「初の女性宰相候補」と言われてきた野田氏だが、初めてのチャレンジで思わぬ挫折を味わうこととなった。なぜ野田氏は出馬できなかったのか。

岐阜県議を経て、1993年の衆院選で初当選。安倍晋三首相とは同期で、「第一次安倍内閣発足前は、『晋ちゃん』『聖子ちゃん』と呼び合う関係」(野田氏談)だったという。

37歳のときに史上最年少で入閣

野田氏が政治家として注目されたのは小渕内閣時の1998年、史上最年少(当時)の37歳10か月で郵政相として入閣した時だ。若手議員の登竜門と言われる「議事進行係」を初の女性議員として務め、「将来の首相候補」として脚光を浴びもした。

さらに野中広務元官房長官や古賀誠元幹事長など党内の有力者にも可愛がられ、野田氏の将来は開かれているように見えた。2003年12月には高村派(当時)を離脱したのも、小さな派閥に閉じ込められることなく、広く党内の支持を得て総理総裁を目指すという「大義」を心に秘めての行動だった。

今回、野田氏は初めてその「大義」を公に掲げた。野田氏に決意させたのは2014年9月の内閣改造で同期初当選組の高市早苗氏が党政調会長から総務相、野田氏の「妹分」と言われた小渕優子氏が経産相に就任し、野田氏よりも12年も政治キャリアが短い稲田朋美氏が規制改革担当相から党政調会長に抜擢されたにも関わらず、野田氏が無役になったことがきっかけだ。

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