ネアンデルタール人の謎、こうやって解いた 地道な努力で逆転!分子古生物学者の一代記

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2010年ライプツィヒにて、ネアンデルタール・ゲノム研究グループのメンバー  ©MPI-EVA.

このころのペーボの心中は、察するに余りある。ペーボは数万年前の古代DNAを抽出するにも大変な労力を使い、DNAの塩基配列も細かく検討して、やっとのことで正しいと思われる結果を導き出していた。だが多くのグループは、大した工夫もせずに1億年ぐらい前の古代DNAの抽出を試み、明らかに間違った結果を発表しては、世間の賞賛を浴びていたのだ。そんな風潮の中で、ペーボは疲れて反論をしなくなっていく。

そして、たとえ世間の注目を浴びなくとも、自分の研究を地道にきちんとして、正しい結果を報告していこうと思うようになる。そう決意したペーボの姿を、私は慕わしく、また尊いものに思う。彼はどんどん人に追い越されながらも、正直にバスに並び続けたのだ。

ネアンデルタール・レースで大逆転

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しかしペーボの場合は、その後に大逆転がやってくる。ネアンデルタール人のゲノムの解読だ。絶滅した人類のゲノム解読レースはスリリングで、読んでいるだけで息苦しくなるほどだ。そしてこの分子古生物学における最大のレースで、ついにペーボは世界のトップに立つのである。

そういう意味で、この本は読み物としてとても面白くできている。痛快な気分が味わえる。でも、もしもその大逆転がやってこなくても、地道に研究をするペーボの姿に共感するだけでも、この本を読む価値はあるだろう。

古代DNAの塩基配列が初めて報告されたのは、1984年である。クアッガというシマウマの仲間の剥製から取り出したDNAの塩基配列が決定されたのだ。一応この論文の発表をもって、古代DNA研究のスタートとみなしてよいだろう。そして、ペーボの失敗であるミイラの古代DNAの論文は、その翌年の1985年に発表されている。ペーボは古代DNAの研究を最も早く開始した研究者のひとりなのだ。そして古代DNA研究の最大のヒットであるネアンデルタール人のゲノム解読を計画し主導した人物でもある。時期的にも、そしてその中心的な役割からも、ペーボの研究生活は、古代DNA研究の発展の歴史そのものなのだ。

ネアンデルタール人の基準標本の右上腕骨と、ラルフ・シュミッツが1996年に切り出した標本 ©R.W.Schmitz, LVR-LandesMuseum Bonn.

ペーボの人生は、古代DNAの研究の面白さだけでなく、いかがわしさにも翻弄されてきた。しかし、台風一過で空が晴れ渡るように、古代DNA研究のいかがわしさも、過去のものとなりつつある。

そのいかがわしさを取り除いた最大の功労者が、ペーボなのだ。どうやら彼の研究生活は、ハッピーエンドで終わりそうである。

更科 功 理学博士

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さらしな いさお

1961年生まれ。理学博士。東京大学教養学部卒業後、民間企業を経て東京大学大学院理学系研究科へ。現職は東京大学大学院研究員、立教大学・成蹊大学・東京学芸大学非常勤講師。著書に古代DNA研究についてわかりやすく解説し、講談社科学出版賞を受賞した『化石の分子生物学 生命進化の謎を解く』(講談社現代新書)、訳書にサイモン・コンウェイ=モリス『進化の運命』(講談社)がある。

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