「つながりを、チカラに。」
100周年に向け、世界に存在感を示す名城大学
名城大学

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2016年、開学90周年を迎える名城大学。8学部23学科、大学院11研究科を擁する中部圏最大規模の総合大学として、これまで18万人もの人材を輩出してきた。昨年は赤﨑勇教授がノーベル物理学賞を受賞し、国内はもとより世界にその存在感を示している。信念をもって研究・教育に取り組む赤﨑勇教授と吉久光一学長の対談、そして100周年を見据えた新たな動きをリポートする。

「小さなことでもいいから、
自分のやりたいことをやろう」

吉久 改めてノーベル物理学賞受賞おめでとうございます。先生の原点は、やはり京都大学への入学ということになりますでしょうか。

赤﨑 1949年に京都大学理学部に入学しまして、物理も化学も勉強しましたが、卒業は化学科ということになります。私が入学した当時は、入学式の日にいきなり研究室に配属になりまして、先輩たちに花見に連れていかれました。皆で銀閣寺から哲学の道を通って南禅寺のあたりまで歩いたんですね。そのとき一人の先輩から「大学というところは何かを教わるところではないんだよ。将来どんな問題にぶつかっても、それをどうやって解決するかを自分でつかみ取るところなんだ」とはっきり言われて、そのとき初めて「ああ、自分は大学生になったんだ」と実感しましたね。

吉久 今の大学とはだいぶ異なりますが、その自覚を持って大学生活をスタートされたわけですね。

赤﨑 もう一つ忘れられないのが、入学した年に湯川秀樹先生が日本人として初めてノーベル物理学賞を受賞されたんです。それを聞いたときに、非常に大きな衝撃を受けまして、先生は雲の上の存在ですが、夕方一人で医学部の横を通りながら学食に向かうとき「自分も何か小さなことでもいいから、誰もやっていないことや初めてのこと、そして自分のやってみたいことをやろう」と思ったのを今でも覚えています。

吉久 それこそ、先生が歩まれてきた道そのものですね。私の場合は子どものころから工作が好きで、ゲルマニウムラジオを作ったりアマチュア無線をやったりしていて、自然に工学部へ進みました。大学4年のときに建築音響の研究室に入って、その面白さに魅せられてそのまま大学院に残りました。

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