光君が「まだ年端もいかぬ少女」の虜になった事情 「源氏物語」を角田光代の現代訳で読む・若紫②

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「何ごとですか。子どもたちと喧嘩(けんか)でもなさったの」と見上げる尼君と似ているところがあるので、娘だろうかと光君は思う。

「雀(すずめ)の子を犬君(いぬき)が逃がしてしまったの。籠を伏せてちゃんと入れておいたのに」と、さも残念そうに女童は言う。その場に座っていた女房が、

「またあのうっかり者の犬君が、そんないたずらをしてお叱りを受けるとは、しょうがない人ですね。雀の子はどこに行ってしまったのでしょう。だんだんかわいらしく育ってきていたのに、烏(からす)なんかに見つかったらたいへんですわ」と言い、部屋を出ていく。ゆったりと髪の長い、こざっぱりした人である。少納言の乳母(めのと)と呼ばれているところを見ると、この子の世話役なのであろう。

「若紫」の登場人物系図(△は故人)

深い思いを寄せている人に似ている

「なんてまあ子どもっぽい。聞き分けもなくていらっしゃること。私がこうして今日明日をも知れない命だというのに、なんともお思いにならず、雀を追いかけていらっしゃるなんて。罰が当たりますよといつも申しておりますのに、情けないことです」と尼は言い、「こっちへいらっしゃい」と呼ぶと、女童はそこに膝をついて座る。頰のあたりがまだあどけなく、眉のあたり、無邪気に髪を搔(か)き上げたその額、髪の生え際がなんともかわいらしい。これからどんなにうつくしく成長していくのだろうと、光君はじっと見入った。が、じつは、限りなく深い思いを寄せている人に女童がたいそう似ているので、目が引きつけられていたのだ、と気づいたとたん涙がこぼれてくる。

尼君は女の子の髪を撫(な)でながら、

「櫛(くし)を入れることもお嫌がりになるけれど、きれいな御髪(みぐし)ですこと。本当に子どもっぽくていらっしゃるのが心配でたまりませんよ。これくらいのお年になると、こんなふうでない人もありますのに。亡くなったあなたのおかあさまは、お父上が先立たれた十ばかりの時は、もうなんでもよくわきまえていらっしゃいましたよ。私があなたを今残していってしまったら、どうやって暮らしていかれるおつもりなのでしょう」と言ってひどく泣き出してしまうのを見て、光君もわけもなく悲しくなる。幼心にも、さすがに尼君をじっと見つめる女童の、伏し目になってうつむいたところにこぼれかかってくる髪が、つやつやと光っている。

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