「麦飯と言えばとろろ」日本の定番ご飯の裏事情 いつからとろろをかけて食べるようになった?

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当時の穀物の価格は、年度や季節によって大きく上下するので一概には言えませんが、例をあげますと、曲亭馬琴の1834年の日記における割麦の値段は、最も安くなる収穫期の5月11日において1両あたり6斗1升。白米の値段は収穫期の10月18日において1両あたり6斗2升(『馬琴日記 第四巻』)。必ずしも安くない麦飯に、とろろ汁やだし汁をかけて食べるので、都会における麦飯は贅沢品となっていたのです。

それではなぜ、都会ではコストのかかる麦飯をわざわざ食べたのでしょうか。

なぜ江戸時代の都会では贅沢な麦飯を食べたのか?

『名飯部類』も『守貞謾稿』も、都会の人間は「養生」、つまり健康のために麦飯を食べるとしています。

『誹風柳多留』の89篇に次のような川柳が収録されています。

 “養生にばかり江戸っ子わりを喰い”

普段は食べない「わり」(割麦の麦飯)を、食事療法として食べる江戸っ子を描いた川柳です(渡辺信一郎『江戸の女たちのグルメ事情』)。

ビタミンに関する知識こそなかったものの、江戸時代の都会に住む人は、麦飯が体によいことを経験的に知っていました。

えまし麦と異なり割麦ならば、栄養素も流れ出ません。健康によいことはわかっていますが、匂いがする割麦の麦飯を美味しく食べる工夫が、とろろ汁やだし汁をかけて食べることだったのです。

近代食文化研究会 食文化史研究家

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きんだいしょくぶんかけんきゅうかい / Kindai Shokubunka Kenkyukai

食文化史研究家。2018年に『お好み焼きの戦前史』を出版。以降、一年に一冊のペースで『牛丼の戦前史』『焼鳥の戦前史』『串かつの戦前史』『なぜアジはフライでとんかつはカツか?』等を出版。膨大な収集資料を用いて近代の食文化史を解き明かしている。(Amazon著者ページTwitterアカウントnote

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