建築家の理想の形 建築家・槇文彦氏③

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まき・ふみひこ 建築家。1928年東京生まれ。東京大学工学部建築学科卒業。米ハーバード大学修士課程修了。後に両校で教鞭を執る。65年槇総合計画事務所設立。主な作品に、スパイラル、ヒルサイドテラス、幕張メッセなど。プリツカー賞など受賞多数。

代官山の旧山手通り沿いにあるヒルサイドテラスは、地主であり、施主でもある朝倉家との何十年ものお付き合いの中で、少しずつ造り上げてきたものです。

旧山手通りは、車道だけで幅が約22メートルあります。地域にもよりますが、一般的に幅の広い道路の両側は容積率が高く、高層建築を建てることができます。逆に、幅の狭い道などでは容積率が制限される。代官山はもともと屋敷町で、容積率は低かったのです。そして、「街の発展には立派な道路が必要だ」という見識で、朝倉家の先代当主が自分の敷地を提供した広い私道が、現在の旧山手通りになったという経緯があります。

そのため、旧山手通りほどの道幅があれば、周囲に高層建築が建っていてもおかしくないのですが、それがありません。樹木が程よくあり、敷地にも余裕がある。東京都が景観上の措置で電信柱をなくし、周囲の建物も暗黙の了解で雰囲気を保ってくれている。ヒルサイドテラスも貢献しているとは思いますが、このような時代の積み重ねが、東京には珍しい、今の代官山という街をつくったといえるでしょう。

住みやすい街にしたいという思い

朝倉家はずっと代官山に住んでいて、自分たちが住んでいる街をよくしたいという思いがあります。ヒルサイドテラスには、ギャラリーやコンサートホールなど文化施設も造りました。そして、「見る」「聴く」以外に、「読む」施設も必要だろうということで、ショップがあった場所に図書室も造った。

ショップが入っていれば賃料が入るわけですが、目先の利益を追うのではなく、住みやすい街にしたい、という思いの強さを感じました。ヒルサイドテラスは、一つひとつの建物自体はそれほど独特のものではありませんが、全体として代官山という街の雰囲気をつくったという点で、社会的な評価を得ることができたのでしょう。

私の事務所も、ここに近いヒルサイドウエストにあります。最近の建築家は活躍の場が世界に広がり、飛行機で飛び回って仕事をすることもある。しかし、近代以前の建築家は、自分の足で歩いていける範囲で、コミュニティから必要とされる建物を造っていたはずです。私にとって、ヒルサイドテラスはそのような建築家の原点に近い仕事なのかもしれません。

朝倉家の方とは、仕事以外でも付き合いが続いており、よく食事に行きます。そういう付き合い方のできる施主と出会い、一緒に代官山の街をよくする仕事ができた。これは非常に恵まれていたということでしょうね。

週刊東洋経済編集部
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