国が控訴「水俣病訴訟」本質は食中毒事件の新見解 環境省は「科学ではない」と大阪判決を問題視

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また、判決が低濃度の水銀による長期暴露や、魚を食べて数十年後に出た感覚障害も水俣病であるとする遅発性の症状を水俣病と認めている点についても、大森審議官は「医学とは違う見解を採用されている」「科学の考え方とは違う」と繰り返した。

ところが、何をもって科学、医学的に正しいとするか、をめぐっては、論争があるところだ。特に、疫学的に因果関係が証明されることと、個別的な因果関係(個別の患者の症状が原因企業による水銀汚染によるものかどうか)の証明とは別である、との見方が主流になっており、国や県はそうした立場に立っている。世界の自然科学や確率論の流れから、これに対する反論もある。

一方、大阪地裁判決には、原告の主張を認めていない面もある。国と県は食品衛生法に基づき、水俣湾の魚介類の販売を禁止するべきだった、という原告の主張は斥けられた。国と県は食品衛生法に基づき、健康調査を行うべきであった、という原告の主張についても「調査の不実施が国家賠償を行うほどの違法行為であるとはいえない」とした。

裁判の行方にかかわらず残された課題

行政が線引きを行い、補償を受けられる人を決める、線引きから漏れた人が訴訟を起こす、司法判断により国のやり方が批判される、政治決着が図られる、そこからこぼれた人がまた訴訟を提起する・・・・・・という悪循環。

裁判は今後も続くが、国や県はどうするべきなのか。水俣市在住の詩人、元水俣市職員の坂本直充(なおみつ)さん(68)に聞いた。

水俣病資料館の「伝え手」として語り続ける坂本直充さん(撮影:河野博子、水俣病資料館ホームページ上のビデオ画面)

坂本さんは2011年から2年間、水俣市立水俣病資料館長を務め、5年前から同資料館で水俣病患者やその家族が体験を話す「語り部」を補完する「伝え手」を務める。体が不自由。「小さい時は歩けず、這いまわっていた。脳性マヒと診断され、言語障害があり、体が思うように動かず、硬直もあった。訓練で少しずつ、歩けるようになった」という。

熊本県内の全小学校の児童は、資料館を訪れ、語り部や伝え手の話を聞く。坂本さんは子供たちから「水俣病ですか」と聞かれるたびに、「父がチッソの工場で働いていたので、水俣病の検診を受けづらかった」と答えてきた。実は「自分は胎児性水俣病ではないか」という思いを抱え続けてきたし、今も心にその思いを持っているという。

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