津波で大きな被害を出した福島県相馬市・新地町 写真レポート【震災関連速報】

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津波で大きな被害を出した福島県相馬市・新地町 写真レポート【震災関連速報】

3月20日夜に現地に入り、撮影は翌21日の午前6時から8時半ぐらいの間で行った。
(地図上のアイコンをクリックして説明を表示、写真のクリックで拡大します)


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写真1■まず、相馬市の北隣にある新地町に入る。国道6号線を北上、途中、新地町駅への案内表記のあるところを右に曲がると、すぐに津波のあとはっきり分かる光景が広がってきた。この地点で海岸からは2キロ以上はある。田んぼの中で住宅が点在するところ。津波が引いたあと多少の瓦礫のほかは何もかも押し流されていた。



写真2■新地町のやや高台のとろこにある住宅は倒壊こそ免れていたが、目の前には車も流されてきて、瓦礫の海と化していた。



写真3■自衛隊がかき分けて作った道の脇には、多くの自動車の残骸が…



写真4■津波で流された地域のほぼ中心から海のほうを撮影。ほとんど流され、遠くに防風林の松林の一部がかすかに見える。



写真5■新地町の釣師浜海水浴場から港にかけての防波堤の岸壁はほとんど壊され、流されて移動していた。



写真6■新地町の港近くあった工場跡地。鉄骨を残して、ほとんど流され、瓦礫が建物の中に詰まっていた。



写真7■新地町駅の遠景。駅は右側、左側に流された車両が……線路は大きく流されていた。この電車に乗っていた乗客は、地震当時、たまたま乗り合わせていた警察官からの「巨大な津波が来る」という情報で、急いで降りて高台に向かった。全部無事だった。



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写真8■相馬市の原釜地区。いったん入った津波は道路など囲まれているため、引くことなく、そのまま「湖」となった。



写真9■同じく原釜地区を海へ。ここは、比較的近くに火力発電所がみえるが、ここで働いていた方、約100名は地震あと孤立してしまったが、その後全部時に救出された。手前には、津波のあとに残った瓦礫の山。漁船や車、家などありとあらゆるものが残された。



写真10■原釜地区で最大のスーパー「シシド」。店内に瓦礫が詰まって、中には入れそうにない状態



写真11■原釜地区から比較的高台のほうの住宅街。倒壊した流された住宅が多いが、かろうじて建っている住宅もあった。



写真12■流された瓦礫の中から、住民の人が探し出した家族の思い出。泥だらけだった。



写真13■相馬市内から松川浦に向かう38号線。途中、原釜地区と、大きな港と魚市場や、旅館街がある松川浦へ道路が分岐するところには、小さな船の上に、大きな漁船が押しつぶすように、陸地に打ち上げられていた。



写真14■同じく38号線。ローソンのところには船も車も打ち上げられている。手前には、水道が破裂したと思われる涌き水が道路を覆っていた。



写真15■被害の大きかった相馬市岩子地区。電柱はいまにも倒れそうだが、その下はほとんど水没。道路跡は確認できるが、その向こう側には何があったのか。



写真16■岩子地区から、さらに遠景で海の方に向かって撮影。ここには田んぼが多かったが、その中に住宅も点在していた。しかし、なにも残されていない。海から運ばれたと思われも松林の枝、その遠くの海岸線沿いには、残った松林の木が数本あるのは確認できた。平坦な地域だけで、津波はなにもかも持ち去っていったようだ。

(木村秀哉 撮影も =東洋経済オンライン)

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